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右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

たいてい助けてもらえる。

私は、人にお願いするのが下手だ。 頼られることは好きでも、頼るのは大の苦手で、 それがこのある程度のことなら何でもかんでもやれてしまう能力の源泉でもあると思っている。

でも、最近は何でもかんでも一人でやるには、いくらなんでも手が回らないし、考えても答えが出なかったり、人手が必要なシーンが増えてきた。

困ったときに頼る人は、大抵の人は助けてくれる。 私の周りにいる人たちは本当に暖かくて、優しくて、心強い。

後輩に信用について講釈をたれた分際だが、私もまだまだ甘いのだ。 助けてくれる方々の信用に足り続ける人間であるよう、これからも励みたいと思う。

研ぎ澄まされた仕事は、安定の元にはない。

最近、研ぎ澄まされた仕事をしていない。 そんなことをふと思った。

いや、多分最大限の仕事をしているのだが、逆に言うと「最大限以上」の仕事をできていないのではないかと。

自分のできないことをしたり、自分の殻を破らなければ到達できないような、ヒリヒリした状況に自分の身を置けていないのではないか。

「小高の少数力」を発行したが、私をよく知る友人からは「つまらない」と一蹴されてしまった。

小さくまとめてしまったような気がする、という思いは自分のどこかにもあったのだ。だからそう言われた瞬間にすぐ何がいけないのか納得した。

出来ないことに挑戦し続けなければ、成長はないし、誰もやりたがらないことを楽しそうにやっていなければ、私じゃない。

そんな反省をした。

大阪人の「知らんけど」は、他人の考えを受け入れる意思表明です。知らんけど。

最近、大阪人です~って話をすると

f:id:Morilin:20160210093049p:plain 「大阪人って本当に『知らんけど』ってよく言うんですか?」

と聞かれます。

言われてみれば、そこそこみんな使ってる気もします。知らんけど。

オバカな会話から、真面目なトークまで登場します。知らんけど。

「知らんけど」は無責任で言っているわけではない。知らんけど。

みんな使っているというと「なんて大阪人は無責任なんだ!」って思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、大阪人が「○○と思うで。知らんけど。」

っていうときは、大抵前半の意見をちゃんと自分の主張として持っていることがおおいです。知らんけど。

なぜ「知らんけど」ってわざわざつけるかというと

「わたしの意見は○○ですが、あなたや他の意見は違うかもしれないし、それをわかっていますよ。意見を受け入れるかどうかはあなた自身が決めてよいですよ」

という意思表示のためで、実は無責任であるようにみえて、「責任のある発言だとわかっているからこそ、相手が受容するかしないかを選択する余地を残す」発言。

お互いぐいぐい来る大阪人なりの、コミュニケーション術なんだと思っています。知らんけど。

みなさんも、「知らんけど」が持つ寛容さを意識して活用すれば、コミュニケーションの達人になることまちがいなしですね。知らんけど。

「他人のせいに出来る」というストレスフルな環境

前の職場の森山のことをよく知る人には驚かれるかもしれないが、

最近は半分くらいの日は7時半には起きて活動している。 いや、それが普通なんですけど。

逆に言うと普通のことが出来てなかったのが前の職場の私の風景で、私はそれ自身にも相当なストレスをかかえていた。

最近は、そういう「普通」をかみしめている。

なんで出来るようになったんだっけ?って考え直してみると、責任転嫁する人いないもんなーって考えが浮かんだ。

責任転嫁すると、転嫁した人にイライラが募る。 イライラする人と一緒に仕事をすると、すごくストレスがたまる。

そういう意味では「誰かのせいにできる」という環境が、意外とストレスの原因になってる可能性もあるな、とかふと思った。知らんけど。

NECのPCをWindows10にアップグレードしたら音がでなくなった

結論:ドライバーを入れなおすと直りました。

お客様から「なんか最近PC音でないんだけど」と言われて見に行ったら結構根深い問題でして。

  • 音はミュートになっていない
  • ハードウェアにボタンなどもない
  • ドライバーは正常に動作していると表示している
  • Youtubeなどがエラーになる
  • Windows10にアップグレードしてから症状発生

この場合。

conexant smart audio hd というサウンド関連のドライバーが「正常に動作している」と表示される一方で 消失していることが原因でした。

http://www.driverscape.com/download/conexant-smartaudio-hd

こういうDriver Installerを入れて、一回診断してみると、 サウンドドライバーのところにファイル名でてくるので、それをググったらドライバー見つかりました。

きちんと「謝る」。成果で報いる。

先週から今週は、期待頂いている方の期待に答えられない時間が続いた。

絶対に、こういう時はある。

でも反省しないといけない点、いくつかあるので今後のためにまとめる。

1)暖かく見守ってくださっている方に甘えてしまっている。

仕事をお願いしていただいている中でも、特に自分のことを暖かく見守ってくださる事業者さんにご迷惑をお掛けすることなってしまった。 なんとなく「きっと許してくれるだろう」みたいな甘えがあったのかもしれない。深く反省している。

本当は、そういう方々の期待にこそきちんと応えて、しっかりと信用を構築していかないといけないのだけれど、こういうところのツメが甘い。

2)しかも、そのうちの1つは締め切り過ぎてたのを放置してしまった。

間に合わないとわかった時点ですぐに連絡すれば良い物を、タスク管理を失敗し過ぎた状態で放置してしまった。

コレはよくない。不安になるし、繰り返すと一気に信用なくすパターンだ。 結局電話頂いて、それで慌てて作業するという最悪のケース。

今回については、打ち合わせの予定やタスクが過去ないくらいに積み上がってしまったのに加え、 ある案件が思った以上に進捗がよくなく、結果としてポロポロこぼしてしまった。

今回の一件は依存先を増やして、いざというときに頼れる場所を増やしておくことの重要性をつきつけられた。 従業員だったり、外注先だったり、そういう「仲間」を増やさねばならぬのだと。

リカバリーについて

本来的にリカバリーできるもの、ではないが、まずは何よりも正直に謝らねばならないと思った。 まずご迷惑をお掛けしたこと、信用を裏切ったことについて。

それ以外に、自分の中で気まずいなと思った時には、 「成果で報いる」という意識を強く持つようにしている。

失敗した分、成果物は相手の期待値をしっかりと超えたものにする。その納品物で応えられなければ、 次の機会を「つくらせてもらう」ようにしないといけないんだということもここしばらくで学んだ。

次はまた、同じ失敗を繰り返さないよう、繰り返しても小さく済ませられるようにしなければ次はない。

起業家の「社会起点」の意義、「自分を持つこと」の意義

今日はリクルートキャリアさんの企業研修の一部にかかわらせて頂く機会がありました。

その中でキーワードとして「社会起点」というフレーズが多用されていたのですが、 自分なりに消化しておこうと思ったので、 自分の一年半の事業生活を振り返りつつ、社会起点を持つことの意味ってなんぞやについてまとめてみます。

「社会起点」とは?

リクルートキャリアさんによると 社会起点とは、

できるだけ広く・深く・長い視点で「何のためにやるのか」という目的を描く と定義されています。

これは、これまでのリクルートグループが

顧客志向、顧客接点と、「顧客」を起点とする ことを重視してきたことに対応する考え方となります。

ざっくりいうと単純に目の前の顧客のニーズを充足することばかりではなく、 社会の問題を解決するという視点を持ちましょうということだと解釈できます。

これはどちらかの問題というより、どちらも必要という視点で捉えられています。

個人的にはすごくしっくりくるフレーズなのですが、自分の中で落とし込めていない方もいるというか 実際に経験した立場ではないと気づきにくいこともある気がするので、私なりの考え方を書いてみます。

起業家が「社会起点」を持つ理由

社会起点は、共通認識を生み出し、人を巻き込む

起業するにあたっては、仲間が重要です。能力のある仲間たちとチームを組み、ビジネスを成立させていく必要があります。 社会起点を持つことで、問題意識を共有できる仲間を巻き込むことができます。

社会起点は、黎明期における混沌をまとめあげる

起業すると、たぶん99%最初のうちは全然思った通りに出来ません。 最初のビジネスプランが前提から誤りがあったことに気づき、仮説は覆され、ビジネスプランは崩壊します。 当面の運転資金を稼ぎだすために自分の実現したいことには無意味と思われるような不本意な仕事をしなければいけないシーンもあります。

社会起点を持つことによって、こうした環境に適応しやすくなります。

ビジネスモデルがピボットしたとしても起点となる社会問題がぶれていなければチームは瓦解しにくくなります。 逆に言うと、手法への面白みで集まったチームはこうした変化に弱く、すぐに瓦解してしまいます。

過去にかかわったビジネスでは、社会ヴィジョンに共感せずシステム的な面白さにのみ食いついて参画してしまったのですが ビジネスモデルのピボットを繰り返す中でチームがばらばらになっていき、自分もコミットしきれず失敗するという経験をしました。

不本意と思われた仕事も、自分たちのビジネスモデルをブラッシュアップしたりピボットしていくときのヒントになります。 「解決したい問題」を頭にいれておくことで、ありとあらゆる情報が問題解決のヒントやアイデアになりえます。 たとえば、私は当初は直接的な人材育成事業をビジネスにすることばかり考えていましたが、 当面の生活のために生業として地域の事業者の方々とたくさん情報交換させていただいた結果、 彼らを地域のリーダーにすることも次世代の人材育成に繋がったり、逆に地域の事業者さんに還元性のある人材育成のあり方を考えなおすきっかけにもなりました。 「人が育つ社会をつくるんだ」という意識を持っているからこそ、生活のために始めた事業を「どうやったら自分の夢に近づくためのプロセスに出来るか」という発想に結び付けられるような気がしています。このあたり言語化難しいです。

社会起点は、ビジネスの継続性を考える視点の1つである

ある程度の成長をしていったときに、ビジネスとしての成長の壁にぶち当たります。

今回のリクルートさんはマッチングビジネスを強みにしていますが、このマッチングビジネスはある程度成熟してインフラ化していくと、 同時にマッチングプラットフォームとしての付加価値が蔑ろにされ、 ただの「人材を右から左に流すだけのビジネス(≒ホリエモンが奴隷産業と揶揄したもの)」になってしまうという問題もはらんでいます。

これはマッチングビジネスにかぎらずすべてのビジネスにいえることです。 一定の成果をあげたときに人は安定をもとめ、付加価値の提供を怠ります。

そういった意味で、社会起点をもっていることは、現状に満足せずに次の改善へつなげていくモチベーションに繋がります。 10年後、20年後の社会を常にイメージしていくことで、自分たちのビジネスを邪悪なものにしないように出来ます。

起業家には「社会起点」と「自分起点」を両方持ち、強く接合させることが必要

とはいえ、一方で、社会起点にばかり目がいっている人も、スタートアップ、特に社会起業界隈ではよく見かけるように思います。 社会起点と同じかそれ以上に、自分起点も大事だと私は考えています。

社会起点だけだと、他人事になる

社会起点のみの場合、自覚の有無は別として大抵は「社会を自分の思い通りにしたい」とか「社会に貢献している自分が評価されたい」という考え方が裏に潜んでいます。 「自分の思い通りにことを動かせる」とか「自分が評価される」ことのみがモチベーションなので、いざビジネスをはじめてうまくいかないことや、あまりに泥臭いことばかりで評価もついてこなかった場合に、モチベーションのよりどころが失われ、やめてしまいます。

だからこそ、自分起点をもって「自分が実現したいことだからやる」とか、 「これをやっている自分自身を誇りに思えるからやる」とかそういう視点が必要だと思います。

自分起点が欠如した社会起点は、品質の低いサービスに繋がる

社会起点しか持たない人は、うまくいかないことや批判する人たちが出てきた時に「自分は社会のためにやっているのに、あいつらは邪魔をしてくる。あいつらのせいでうまくいかないんだ」という思考に陥りがちです。

実際は多くの場合は単純にサービスレベルが低いことに起因するのですが、「自分は自分のためではなく、社会のためにやっているんだ」という意識のみが強すぎるために、こうした思考に陥り、自己を改善するという考え方に至ることが難しくなってしまいます。

参考:社会をよりよくしようってなった場合は今ある社会を塗り替えていく仕事になってきて、1000%とか2000%のレベルのスピード感を持たなければいけない。

だからこそ、ある意味「自分は自分のエゴのためにこの問題を解決しようとしている」という割り切りと謙虚さが求められます。 その考えに至ってはじめて、周りの批判や意見に耳を傾けられます。

社会起点のみで考えられたビジネスは大抵おもしろみがない

これが最大の問題なのですが、社会起点のみで語られるビジネスには大抵面白みがありません。

おそらく、具体的に自分がどんなことをしたりどんなスキルを使って仕事をするかというイメージをもてない人は 自分が対象とするビジネスの受益者がどんな人でどんなことに困っているのかについての想像力も欠如している場合が多いです。

「社会問題に、自分が出来ることはなにか」という視点を持つことによって、はじめて「自分が出来ることの範囲で受益してもらえる人はどんな人か」というイメージが膨らんでくるのではないでしょうか。

まずは自分のことを掘り下げてみてほしいです。

個人的な思いとしては、スタートアップに関わりたいと思っている方は10年後自分がどうなっていたいのかや、自分に今何ができるのか、自分の発展性はどんなところにありそうなのか具体的にイメージしてみると良いのではという気がしています。

すごく俗っぽくていいと思うんですよね。

僕はカッコよくてチャーミングでいろんなことを楽しんでいて、優しい父親になりたいと思っています。 カッコつけるのが好きだし、いろんなことに夢中になっていたいし、後輩や子どもたちに憧れられる存在でありたいなと思います。

だからこそ、今のビジネスはカッコつけることも1つの意味のあることになっているし、いろんなワクワクすることを取り込む余地を残しているし、 それを通して若い人たちの成長に貢献しようという考え方につながっています。

個人的には、

イデアというのは複数の問題を一気に解決するものである というフレーズがすごく気に入っていて、だからこそそのアイデアがワクワクするのかなとも思います。

https://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

なんにせよ、一緒にワクワクするフィールドを作っていきたいですね。これからも頑張ります。