右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

ポケモンGoは世間の話題をさらったけど僕らが期待したようなものでもなかったと思う

ポケモンGoを悪くいうとどこからか「出だしがすごすぎただけで今でも十分」とかいう人がわいてきて、なんだか悪くいってはいけない空気になっているのは、逆に不健全な気がするので俺はいいたいことをいってやる。

なんだろう。「アイデアというのは複数の問題を一気に解決してしまうようなものである」という考え方が強く浸透した任天堂が生み出したポケモン、その名前を冠したゲームであるからには、ポケモンGoもそうであるに違いない、といった期待感が大きすぎた。

ポケモンGoに求めていたのは、「ここに行けばこんなポケモンがいるかもしれない!」という探検心をくすぐるところとか、ポケモンを戦わせて強くなったら、また手に入るポケモンがふえる、みたいな成長要素とか。 ARで現実世界にポケモンの世界が融合した!みたいなワクワク感だった気がする。

あるいは、ゲームだけにとどまらない、現実のマーケティングや地域振興に影響を与えることで、これまでとは違う人の流れを生み出すことだったと思う。

現実には、ポケモンは人がたくさんいるところにわいてきて山や海を探索する意味なんてほとんどなかったし、レベルを上げるには最寄りのポケストップでルアーモジュールを巻いてるのが一番の近道だし、ARモードなんてもはやだれも起動してないよね?

f:id:Morilin:20160825195206p:plain こんな感じで私の家の周りにはなにもないわけだが

山海くらいのざっくりした分類はあるみたいだけど、人が寄り付かないところにいるポケモンとか、逆に人がたくさんいるところにいるポケモンとか、探索しがいが欲しかった。私の家の近くはどこを歩いても虫、鳥、鼠とイーブイ。田舎なのでこんなもんだろうと思いつつ、Lv10を過ぎたくらいから少しずつ水ポケモンなども出てきたが、別に彼らが出てくる必然性を感じなかった。

ポケモンでは戦いを挑んでくるトレーナーが、新しいポケモンの存在と、もしかしら近辺にいるのでは?というヒントを提供してくれたが、そういうものもなく、ただひたすらに起動しておくしかない。情報交換?周りにプレイヤーいねぇよ?

世界規模で公開するゲームだから地域の特性を生かすのは難しかったにしても、もう少し場所によって色を感じられる仕様だったらよかったなぁと。山でも市街地でも出てくるポケモン一緒だもん。鳥、鼠、虫。

もう何だったら福島原発の近くに遺伝子改造で生まれたミュウツーとか出てきたら最高にロックだったと思う。

なにより、都会との格差を感じた時点で激萎えしたし、ジムなんてもはや一部の廃人のものだから中位層以下にはシステムとして機能してない。田舎者には辛い仕様である。

最近、地方格差を解消する方向で動くというニュースが発表されたが、はっきりいって「本来もっとも重要な要素として考慮されるべき土地・場所の違い」を想定していなかった、という時点でポケモンGoにそこまで話題にするほどの価値を見出せないと感じている。田舎民にはすでに十分、非情なまでの都市部との格差を見せつけられた。だいたい俺たちよっぽどじゃないと生活圏で歩かないんだから、卵なんて孵化できるわけないじゃん。

ポケモンGoをきっかけに地方でも何かできるかな、という期待感があっただけに、非常に残念である。

「しまう」日本の文化

今日、建物の取り壊しが進む小高にて、こんな話を聞いた。

「○○さん、建物これから壊すっていうのに障子張り替えているんだって」 「これって、俺達はなんとなく理解できるけど、外国人にはきっと理解されない感覚だよなぁ」

私も、なんとなく理解できる。自分はやらないが。

日本人はものを片付けることを「しまう」とか「始末する」とかいうけど 「終わらせる」ということは「片付ける」と似たような感覚なのかもしれない、とふと思った。

終わらせるからこそ、キレイに始末する。

んー。親に「ほったらたかし」と呼ばれる私には似合わないね。

教育の壁

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教育の壁とでも言うのだろうか。最近ぶち当たっている。

実践に向かっていくフェーズの人材育成で、壁にぶち当たる。

web制作講座をやらせてもらっているが、好奇心の壁を越えられない。教えてあげられても、彼らの好奇心が進み出すところまで勧めきれないもどかしさを感じている。どうするのが、良いのだろう。

経営者として、人間として。

やっとのことでキャッシュフローが回るようになり、少しずつ業績も安定してきたので、先日従業員を雇用した。 従業員を雇うことは、資金繰り的な側面での不安が拭いきれず、不安になることも多い一方で、自分の仕事を気兼ねなく手伝ってもらえる人が居るという意味では極めて心理的によい効果があった。

早速色々な作業を任せたりしているが、先週はとにかく時間がなく、ほとんど様子を見れなかった。 さらに週末は、イベントの手伝いをしてもらったが、準備も不足し、当日もろくに指示も飛ばせず、 せっかくの時間をムダにさせてしまったように思う。

会としては形に収まったように思うが、従業員だけではなく、手伝ってくれた周りの人も精神的に疲弊させてしまった。

本当に申し訳ない気持ちで一杯である。

経営者として失格、くらいですめばいいのだが、人間としての欠損があるのかもしれないなんて考えてしまう。

震災直後に立ち上がったリーダーってせいぜい5年生だからな

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別に自分の仕事ぶりに言い訳するつもりはないんだけど、ちょっと言いたいことがあったので言わせてほしい。

自分とか事業主になってようやっと1年のひよっこだから言うけど、震災直後に立ち上がったリーダーたちだって、たかだか5年生なんですよ。

まず経営のことなんてわからないことが多いし、経営がわかっても地域づくりなんて経営学フレームワークが全部使えるわけじゃないし、リーンキャンバスとかの使いやすいフレームワークですらあんまり役に立たない時が多かったりするんだよね。シンプルな経営してないから。   だから、失敗する。めちゃくちゃ失敗するし、繕ったそばからいろんなところでポロポロこぼれだすし。

ヴィジョンも共有したいし、KPIも5年後の組織像も考えたいけど、それを整理してくれるスパーリング相手もいないし、頭の中グッチャグチャなままやってるはずだと思うんだよ。

事務とかもどんどん後手後手になるし、何か決断せまられてもこの一歩踏み間違えたら即死みたいな環境での判断なんか、どうやっても時間かかるよ。

それに反して、メディアの人たちはどんどん食いついてくれる。面白いプロジェクトだって取り上げてくれる。 どんどん周りの期待が肥大化していって、でもやれることはいきなり増えない。

さらに、それを見て「一緒にやろう!」って言ってくださる方が増える分、時間は削られていくし。 結果、その分どんどん自分の出来ることと期待が乖離していく。この状況に耐えるのだってかなり辛い。 宣言したことが上手くできないことなんて数えたらいくらでもある。

私はここでうまく行かなかったら別の場所に逃げられるけど、地元で立ち上がった人たちってそうはいかないわけでしょ。今のやってることの成否がヘタしたら自分の一族郎党までの評価になるとか考えたら頭おかしくなりそう。でも地域のリーダーみたいな人たちは、人によってはそこまで背負ってやってるわけやん?

私はこの街に「役に立つ」つもりでここに来てるから、私がここにいて、穀潰しになって役に立たないのは批判されてしかるべきなんだけど、 必ずしも地域でリーダーやってる人たちが「役に立てる」なんて思ってやりはじめたわけじゃないとおもうんだよね。 大半の人たちが自分に出来ることがあるかなんてわかんないけど、それでも立ち上がらずにはいられなかった人たちが、今この場所に立ってるってこと。

そういう人をさ、なるべく「評価」するんじゃなくて、上手くできるように一緒になって考える立場でありたいなって思うんですよ。 いや、まず自分の生活考えなアカンのやけど。

うーん、何が言いたいのかわからなくなってきたけど、これからも和田さんの活動とか、フロンティアさんの活動とか、コンソーシアムさんのやりたいこととか、若松さんが鹿島で盛り上がっていきたいみたいな気持ちを応援したいってことです。これからも一緒に遊んでくださいね!ありがとうございます!

リーダーになるために 新装版

リーダーになるために 新装版

たいてい助けてもらえる。

私は、人にお願いするのが下手だ。 頼られることは好きでも、頼るのは大の苦手で、 それがこのある程度のことなら何でもかんでもやれてしまう能力の源泉でもあると思っている。

でも、最近は何でもかんでも一人でやるには、いくらなんでも手が回らないし、考えても答えが出なかったり、人手が必要なシーンが増えてきた。

困ったときに頼る人は、大抵の人は助けてくれる。 私の周りにいる人たちは本当に暖かくて、優しくて、心強い。

後輩に信用について講釈をたれた分際だが、私もまだまだ甘いのだ。 助けてくれる方々の信用に足り続ける人間であるよう、これからも励みたいと思う。

研ぎ澄まされた仕事は、安定の元にはない。

最近、研ぎ澄まされた仕事をしていない。 そんなことをふと思った。

いや、多分最大限の仕事をしているのだが、逆に言うと「最大限以上」の仕事をできていないのではないかと。

自分のできないことをしたり、自分の殻を破らなければ到達できないような、ヒリヒリした状況に自分の身を置けていないのではないか。

「小高の少数力」を発行したが、私をよく知る友人からは「つまらない」と一蹴されてしまった。

小さくまとめてしまったような気がする、という思いは自分のどこかにもあったのだ。だからそう言われた瞬間にすぐ何がいけないのか納得した。

出来ないことに挑戦し続けなければ、成長はないし、誰もやりたがらないことを楽しそうにやっていなければ、私じゃない。

そんな反省をした。