右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

やれるようになるために「頑張る」ことについて僕は否定的です

会社の後輩に対して「なにかをできるようになりたいと思うなら、何回でもチャレンジすべきだ」というような話をしたところ、こんなお悩み相談が飛んできました。

「話をきいていて、三日坊主を(何度も)続けるのが自分の課題だと思いました。 あと(それを)どこまでがんばるべきかで悩んでいます」

基本は頑張らなくてもいい

僕はこう返しておきました。

「頑張らなくていいと思うよ。大事なことは、やりたいと思ってるならやりたいと思っているときに何度でも挑戦すべきだってことだと思う」

何かをやれるようになるために相応の努力をしないといけないのは確かですが、いちいち「頑張る」と意気込んでも努力は続かないし、「頑張った」結果うまく行かないと、自分には向いていないではないかと落ち込んでしまいます。

実際、何かをできるようになりたいと思った時に本当にできるレベルに達するためには、たくさんの失敗が必要だと思うのです。そういうときに「頑張ったけど出来なかった」と自分を評価するのか、「3日坊主だったから出来なかった」と評価するのでは、前者のほうが圧倒的に次のやる気をそがれます。

だって、次は「今回頑張ってつらい思いをした以上に頑張らないとできないんだ」ってなるから。

だから、僕はやりたいと思った時に、やりたいと思ったことをちゃんと挑戦できればいいと思っています。

「やりたい」って思うレセプターは放っておくとどんどん閉じていく

でも、ここで注意してほしいのは、「やりたい」っていう感情をないがしろにしていると、 どんどんこの感情に対して鈍くなっていくということだと思っています。

鈍くなっていく、というよりは「言い訳がましくなる」というほうが正しいのかもしれないけど。

  • 新しいチームができるからジョインしなよと言われて、自分には向いてないと言い訳する。

  • こんな仕事があるよと言われて、自分には出きっ遅いこないと言い訳する。 だんたんこんな風になってくる。

だから、やりたいって思うレセプターを感じられているうちに、とりあえずいろいろ手を出したらいいじゃんって思っています。 特に会社に属しているのなら、多少の失敗をしても組織で吸収できるので、こういうことは本当はしやすいはずなんだからね。