右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

ワークスアプリケーションズを退職しました

本日付で5年弱務めさせていただいたワークスアプリケーションズを退職しました。

在職中は社内・社外問わずとても沢山の方にお世話になりました。

別に退職エントリなぞもう流行らんだろうとは思ったし、 僕が書くと割と過激な内容になって訴訟リスクが云々とかあると思ってはいるのですが、 まぁ自分の心情の整理も含めて書いてみようかなと思います。

理由とか待遇とかそっちの話がこういうエントリだと多いですが、 私は自分の価値観にフォーカスを当ててみたいと思います。

この記事を読んでくれた人が、自分の価値観について考えるきっかけになればと思います。

ワークスでは何をしていたか

ワークスでは、もっぱら品質向上に関わる仕事をしていました。

自動テストに始まり、GUIの製品企画や評価、単体テストの啓蒙、コストの可視化による意識啓蒙、 テスト内容やテスト実行の管理、BTSの導入、Jenkinsを利用したCI、およびそれに付随するツール・サービスの開発を行っていました。

社内で取り組んでいた内容を↓のような大きなシンポジウムでお話させて頂く機会にも恵まれました。

JaSST'12 Tokyo セッション概要 http://jasst.jp/symposium/jasst12tokyo/details.html#A4-2

ワークスには何をしに来たか

僕がワークスを受けたのは「報酬の高さ」が決め手でした。 新卒で1年目から600万台を狙え、かつ結婚適齢期までに1000万も不可能ではないという報酬レンジは、 「結婚して子供ができたらゆったりと暮らせるような生活をしたいから、それまでに稼ぎたい」 と思っていた当時の私にはなかなか魅力的でした。

いくつか報酬が高めのところから内定をもらった中で、 人間関係がギスギスしていなそうで、楽しく働けそうだなと思ったワークスに入社することにしました。

会社に入って変わった価値観・変わらなかった価値観

ものをつくれる能力って大事

なんだかんだいってものをつくれる能力(=技術力)は非常に大事だなぁと、業界を見ながら感じました。 次代を切り拓いていっているのは、技術でしかないと、だんだん思うようになりました。 もちろん営業力も大事ですが、それも技術あってのものだと、より強く感じるようになった気がします。

ノーブレス・オブリージュ

なんというか、ワークスでは良くも悪くも人を教育する文化はあまりない(難しい仕事を沢山与えれば成長するという思想) ので、その仕事の波に乗れるかどうかがかなり重要なキーとなっていました。 私は幸いこの波にのれた側だった(と思う)のですが、じゃあ周りの乗れなかった人って僕に比べてそんなに劣っているのかというと そうではなくて、単純に大学時代に受けてきた訓練の内容の差にすぎないなぁと感じることが多かったです。

そういう環境の中で、境遇の差なんていうのはほとんど訓練の差でしかない(努力をするのだって能力だ)というように 思う気持ちは強くなっていたように思います。

東京にいる必要ってあるんだっけ?

僕が東京で仕事をしたいと思った理由は、プライベートな事情もあったのですが、先輩からいわれていた「東京とそれ以外では情報量が全然違うから東京で仕事したほうがいい」というようなアドバイス(?)を割と真に受けていたこともありました。

実際、入って数年間くらいはこういう違いを感じることは多くて、セミナーだったり勉強会だったりの数はやはり東京が圧倒的だし、 情報量は違ったと思います。

ただ、ここ数年のTwitterGitHubが台頭してきたあたりから、エンジニア界隈としてはその傾向がかなり薄れてきているように感じています。 一緒にやるメンバーは近いほうがいいけれど、情報収集は別にここじゃなくても?という比率はかなり増えてきているのだと思います。

そういう風に考えた時に、クラブでイェーイ!とか、カラオケでウェーイ!とか、オネエチャンとウェーイ!とかやる種族ではない僕的には、 別にあえて東京にいる理由って無い気がするなぁって思うようになってきました。

多様性がものすごく大事

特に、たまに外部の人と話すと思いますが多様性はものすごく大事だと思います。 似たような技術レベル、知識レベル、思考レベルの人ばかり話しているともののやり方がどんどん硬直していきます。 フレッシュな考え方が入ってこない、入ってきても拒絶するようになるのでどんどん雰囲気が悪くなる。

ワークスにおいても(どこにいっても必ずあります)こういうシーンを経験することが少なからずありました。

特に、ITの技術に関しては新しいものがどんどん生まれているので、循環させていくことが重要だと感じました。

退職をするに至った理由

これです、とハッキリいうのはかなり難しいですが、 自分の中で「もうちょっとやればここまで届くんじゃね!?ってところをやれていないモヤモヤ」があったことが大きいと思います。

  • もっと開発をしたい
  • やりたい領域のことをしたい
  • もう少し穏やかな人間関係で仕事をしたい(人を自分より価値がないと評価しない、高圧的にならないとかそういうの)
  • もっと尖った奴らと仕事したい

とかこういう欲求があって、いくつかの欲求は一時的に満たされたり満たされなくなったりしながら仕事をしていました。 だから別にめちゃくちゃなにかに不満があって、ということではなかったんですが、 じゃあ自分があと30年間この仕事の仕方を続けてて本当にいいんだろうか?という迷いがありました。

じゃあいつリスクを取るか?今でしょ

じゃあまぁそこまで思うんだったら今リスクとってみりゃーいいじゃんってなった結果今に至るんですが、 ここに至るまでにはなかなかに迷いがありました。 もともとかなり保守的、というかヘタレ、というか「絶望的に生き方が不器用」と形容される私なので、 こういう決断をするのはあまり得意ではないからです。

あとを押したのは、Startup Weekendでの出会いや同僚との会話

そんな私でもこういう決断を出来たのは、一重に周りの人たちとの信頼関係だったなと思います。

  • 「もし食いっぱぐれたら半年くらいは仕事やるよ」とか
  • 「飯だけなら1ヶ月くらい提供してやる」とか
  • 「お金に困ったらモリリンなら10万くらいならあげるわ」とか
  • 「会社つくるなら一緒に働くよ」とか、

まぁ半分冗談だったりもするわけですが、こういったことを言ってくれる方が本当に沢山いて。

こんなにも自分が信頼を築くことができていたのかと驚きつつ半信半疑になりつつも、 このくらいの「信頼」という資産を築ける自分であれば何とかなるかもしれないな、とか思って、 辞める決断をしました。

僕にとって「豊かな暮らし」を目指すための退職

なんというか、東京に来て思ったのは、「美味しいご飯食べれてよく眠れたら割と幸せじゃね?」っていう まぁ極めて非文化的なんですが、それでも一番大事なことのように思えました。

その次に、文化的なものにふれる「余裕」というのか、「アソビ」というのかそういう部分が 僕の生活にはあってほしいなと思いました。 このあたりはBotanicalのように本当に文化っぽいものから、プラモづくりみたいな割と俗っぽいものも含まれます。

東京にいると、どうしても美味しいご飯を食べる機会というのは少なくなってしまうし、 睡眠サイクルはガンガン乱れていくし、その結果体調不良になりそしてまた・・・という悪循環に陥りがちで、 僕もその悪循環に陥ってしまった一人でした。 そうすると「当たり前」が出来ていない分の取り戻し仕事、みたいなのが増えてくるわけで、そうするとごんごん 「アソビ」の部分が削られていく、みたいな影響も出てきました。

給料はまぁあがったりしましたが、じゃあこれって俺幸せなんだっけ?っていわれた時に結構微妙な気持ちになってしまうなぁと。 仕事はやり甲斐あって楽しいし、没頭しちゃうくらい熱中することも多いけど、だからって今の俺最高?とは言えないなと。

まぁこういうこともあって、一旦優先順位を逆に、美味しいご飯と睡眠 > アソビ > 残った時間で仕事 というように設定できひんかな、というのが今回の退職にあたってのテーマ設定となっています。

辞めた後のこと

辞めたあとは、美味しいご飯を食べながらアソビの活動をして、余裕があればプログラミングをして過ごす、規則正しくねる。 という生活スタイルをとってみようと思っています。

そしてそれを実現できる環境があればそこに行ってみようと思っていますが、 今のところは未定です(声をかけて頂いているところはあります)。

半年くらいは貯金を食いつぶしながら自分でいろんなサービスを作ってみようと思っていたので、収入のことは正直あんまり考えていません。

最悪乞食でもなんでもいいし、どうしようもなくなったら自然に還ってやるくらいの心持ちでいれば、意外と心穏やかです。

まぁ先のことを考えれば不安なのは当たり前ですが、まずは目の前の毎日から大事に生きていこうと思います。

本当にこれまでありがとうございました。

これからも、よろしくお願い致します。

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「働きがい」なんて求めるな。

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