僕は「きっと何者にもなれない」恐怖とこれからも対峙し続けるのだと思う
なんとなく、漠然とした不安に包まれたのでこういうことを心の整理がてら書いてみようと思います。
社会に対峙したとき、僕はあまりにもちっぽけだ。
社会にインパクトを与えられるような技術もなく、肩書もなく、人脈もなく、それほど計算高くもなく、政治力があるわけでもない。そんな自分。
そんな自分が、社会に対して何か爪あと - 決して自己顕示欲を発揮したいではなく、実現欲求としての爪あとを残したいと考えたときに、ぶちあたる壁は残酷なまでに高いんですよね。
自分よりすぐれたプログラマ、肩書も実力も伴ったリーダーを目の前に対峙して、彼らと肩を並べてなにかをなさねばならない。自分に果たしてそんなことができるのか、という不安やモヤモヤと対峙しなければいけない。自分という人間を信頼した人たちが相対的に損害を受けてしまうという恐怖と対峙しないといけない。
じゃあどうすんだよ。このまま腐るのかよ
ってなると、なれないんですよね。
だから僕はきっと何者にもなれなくても、その恐怖と対峙し続けないといけない。 何者にもなれないことを諦めることが出来ないなら、「何者か」になるまで続けないといけない。
何者かになるのは結果だし、今は問題の解決にフォーカスしよう。できるかどうかもわからないが、対峙しないといけない問題と。