右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

「文化の違い」が「何もしない時」以上の摩擦を生むのはあまりにももったいない

ちょっと身近でこういう話があって、「田舎暮らし」という「文化的な違いのどまんなか」にいる身としてはいたたまれない気持ちになります。

「訪問先で出されたお茶を飲むのは失礼だ」という文化もあれば 「出したお茶に手を付けないのは失礼だ」という文化もある

「スーツを着ないのは礼儀に反する」という文化もあれば 「スーツを来て仕事をするのは非効率でビジネスをないがしろにしている。あるいは多様性に反する」という文化もある

「形が出来上がる前に持っていくのは失礼だ」という文化もあれば 「協業できそうなことを事前に相談しないのは失礼だ」という文化もある

「具体案が無く挨拶だけ、というのは時間のロスだ」という文化もあれば 「挨拶もせずに具体案を持ってくるなんて失礼だ」という文化もある


本来、こうした作法の多くは「コミュニケーションを省略することで摩擦を最小限に抑える」ためにあるであって、これが食い違うことで「なにもない時以上の摩擦」を生むのであれば本末転倒、という気がしています。非常にもったいない。

重要なのは「お互いの考えを尊重し、理解し歩み寄ろうする」ということで、その経緯さえなくさなければ大抵のことは上手くいくのではないかなと思うのです。

何が言いたいかって言うとこういう軋轢の中で苦しい思いもしていますが森山は元気です。