右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

「コミットメント」に思うこと。

「それができなくなる、と思うと辛いか辛く無いか」

これだけでいい。自分は今やろうとしていることが出来なくなるととてもつらい。 なくなると辛いので、どうしても投げ出したくはない。 これを「生業」と呼ぶとしよう。

「生業」でないものを、「お手伝い」と呼ぶすると、 「お手伝い」というのは「お手伝い」であるがゆえに、なくなっても辛くない。

なくなっても辛くないが故に、カンタンに投げ出せる。 「お手伝い」をお手伝いでないかのように見せることはできる。 というかそれが「ビジネススキル」の中では重要な部分もある。

しかし、何か成し遂げたいときに、どちらの人間を集めるべきかというのは明白である。 お手伝いをお手伝いじゃない風に繕える人材より、 生業と出来る人を集めたほうがいいにきまっている。

もし、選択権があるならば出来る限りそうすべき。 そう思っているからこそ、 自分が「お手伝い」なら出来るよ、ということに対し、 「でも『生業』にしてくれる人がいるならそっちを選んだほうがいいよ」 というほうが私にとっては正義であり、道義であり、誠実な態度である。 のがした魚は大きいかもしれないが、 1mのブラックバスよりも20cmのアジの方が釣りたいのだ、私はね。