右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

本気の地域ビジネスこそ、グローバルな視座なんじゃないか仮説

f:id:Morilin:20151119203646j:plain 地域にグローバルな視点を、みたいなエントリーみて自分も思うことを書いてみようと。

自分は、表題のようなということを頭の中で考えてます。

【俺達って身近な「問題を解決すること」をおろそかにしすぎてたんじゃねーの?】

最近、グローバルには自動運転しかり、テスラのバッテリーしかり、人工知能による知識労働の置き換えしかりで、 「社会の根っこにあった問題を一気に解消しちゃうこもしれない!すげー!」感あります。

逆に、自分たちの目の前に溢れている大量の製品は 「ニーズを満たす」とか「ニーズを作り出す」 という旗印の元、「ある種小手先のようなマーケティングによって作られた製品」ばかりが生み出されるようになり、あまり問題を解決してないのではないでしょうか?

その結果として日本は世界市場からおいていかれるようになった、と考えられなくはないでしょうか?

だから、言いたい。 「ビジネスって身近な問題を解決することから始まるし、それが世界中の人に適用できることだったらグローバルってことだと思うぜ!」

そう思うと、「人」の一番近くにある「地域」の問題を解決することは、「ビジネスって問題を解決することだったなぁ」と気づかせる最高のフィールドだと思います。そしてその問題解決の能力と規模感をどんどん広げていくことが、グローバルじゃないかと。

スライムを倒さなければバラモスが倒せないように、目の前のおばあちゃんの問題を解決できない輩がグローバルで戦えるわけないじゃん、って思いません?

T村K太郎氏とかが「やれグローバルだ、日本にはもうグローバル市場はない」みたいなこと言ってますけど、 自分は「あるかどうかマーケティングして、売れるものをつくる」よりも「ないならグローバルにしていく取り組み」をするほうがカッコイイし、「その能力がないならレベルを上げて物理で殴ればいい」状態にする」ほうがなにより楽しい、と思う。だってそれって、僕達がのめり込んでやっていたゲームのそれと一緒でしょ?レベルを上げて、強敵に挑む。レベルを上げるには弱い身近な敵からを倒していく。

それをおろそかにしては、グローバルで戦えない。

さて、みんな。冒険の旅に出ようぜ!(錯乱)