右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

起業家の「社会起点」の意義、「自分を持つこと」の意義

今日はリクルートキャリアさんの企業研修の一部にかかわらせて頂く機会がありました。

その中でキーワードとして「社会起点」というフレーズが多用されていたのですが、 自分なりに消化しておこうと思ったので、 自分の一年半の事業生活を振り返りつつ、社会起点を持つことの意味ってなんぞやについてまとめてみます。

「社会起点」とは?

リクルートキャリアさんによると 社会起点とは、

できるだけ広く・深く・長い視点で「何のためにやるのか」という目的を描く と定義されています。

これは、これまでのリクルートグループが

顧客志向、顧客接点と、「顧客」を起点とする ことを重視してきたことに対応する考え方となります。

ざっくりいうと単純に目の前の顧客のニーズを充足することばかりではなく、 社会の問題を解決するという視点を持ちましょうということだと解釈できます。

これはどちらかの問題というより、どちらも必要という視点で捉えられています。

個人的にはすごくしっくりくるフレーズなのですが、自分の中で落とし込めていない方もいるというか 実際に経験した立場ではないと気づきにくいこともある気がするので、私なりの考え方を書いてみます。

起業家が「社会起点」を持つ理由

社会起点は、共通認識を生み出し、人を巻き込む

起業するにあたっては、仲間が重要です。能力のある仲間たちとチームを組み、ビジネスを成立させていく必要があります。 社会起点を持つことで、問題意識を共有できる仲間を巻き込むことができます。

社会起点は、黎明期における混沌をまとめあげる

起業すると、たぶん99%最初のうちは全然思った通りに出来ません。 最初のビジネスプランが前提から誤りがあったことに気づき、仮説は覆され、ビジネスプランは崩壊します。 当面の運転資金を稼ぎだすために自分の実現したいことには無意味と思われるような不本意な仕事をしなければいけないシーンもあります。

社会起点を持つことによって、こうした環境に適応しやすくなります。

ビジネスモデルがピボットしたとしても起点となる社会問題がぶれていなければチームは瓦解しにくくなります。 逆に言うと、手法への面白みで集まったチームはこうした変化に弱く、すぐに瓦解してしまいます。

過去にかかわったビジネスでは、社会ヴィジョンに共感せずシステム的な面白さにのみ食いついて参画してしまったのですが ビジネスモデルのピボットを繰り返す中でチームがばらばらになっていき、自分もコミットしきれず失敗するという経験をしました。

不本意と思われた仕事も、自分たちのビジネスモデルをブラッシュアップしたりピボットしていくときのヒントになります。 「解決したい問題」を頭にいれておくことで、ありとあらゆる情報が問題解決のヒントやアイデアになりえます。 たとえば、私は当初は直接的な人材育成事業をビジネスにすることばかり考えていましたが、 当面の生活のために生業として地域の事業者の方々とたくさん情報交換させていただいた結果、 彼らを地域のリーダーにすることも次世代の人材育成に繋がったり、逆に地域の事業者さんに還元性のある人材育成のあり方を考えなおすきっかけにもなりました。 「人が育つ社会をつくるんだ」という意識を持っているからこそ、生活のために始めた事業を「どうやったら自分の夢に近づくためのプロセスに出来るか」という発想に結び付けられるような気がしています。このあたり言語化難しいです。

社会起点は、ビジネスの継続性を考える視点の1つである

ある程度の成長をしていったときに、ビジネスとしての成長の壁にぶち当たります。

今回のリクルートさんはマッチングビジネスを強みにしていますが、このマッチングビジネスはある程度成熟してインフラ化していくと、 同時にマッチングプラットフォームとしての付加価値が蔑ろにされ、 ただの「人材を右から左に流すだけのビジネス(≒ホリエモンが奴隷産業と揶揄したもの)」になってしまうという問題もはらんでいます。

これはマッチングビジネスにかぎらずすべてのビジネスにいえることです。 一定の成果をあげたときに人は安定をもとめ、付加価値の提供を怠ります。

そういった意味で、社会起点をもっていることは、現状に満足せずに次の改善へつなげていくモチベーションに繋がります。 10年後、20年後の社会を常にイメージしていくことで、自分たちのビジネスを邪悪なものにしないように出来ます。

起業家には「社会起点」と「自分起点」を両方持ち、強く接合させることが必要

とはいえ、一方で、社会起点にばかり目がいっている人も、スタートアップ、特に社会起業界隈ではよく見かけるように思います。 社会起点と同じかそれ以上に、自分起点も大事だと私は考えています。

社会起点だけだと、他人事になる

社会起点のみの場合、自覚の有無は別として大抵は「社会を自分の思い通りにしたい」とか「社会に貢献している自分が評価されたい」という考え方が裏に潜んでいます。 「自分の思い通りにことを動かせる」とか「自分が評価される」ことのみがモチベーションなので、いざビジネスをはじめてうまくいかないことや、あまりに泥臭いことばかりで評価もついてこなかった場合に、モチベーションのよりどころが失われ、やめてしまいます。

だからこそ、自分起点をもって「自分が実現したいことだからやる」とか、 「これをやっている自分自身を誇りに思えるからやる」とかそういう視点が必要だと思います。

自分起点が欠如した社会起点は、品質の低いサービスに繋がる

社会起点しか持たない人は、うまくいかないことや批判する人たちが出てきた時に「自分は社会のためにやっているのに、あいつらは邪魔をしてくる。あいつらのせいでうまくいかないんだ」という思考に陥りがちです。

実際は多くの場合は単純にサービスレベルが低いことに起因するのですが、「自分は自分のためではなく、社会のためにやっているんだ」という意識のみが強すぎるために、こうした思考に陥り、自己を改善するという考え方に至ることが難しくなってしまいます。

参考:社会をよりよくしようってなった場合は今ある社会を塗り替えていく仕事になってきて、1000%とか2000%のレベルのスピード感を持たなければいけない。

だからこそ、ある意味「自分は自分のエゴのためにこの問題を解決しようとしている」という割り切りと謙虚さが求められます。 その考えに至ってはじめて、周りの批判や意見に耳を傾けられます。

社会起点のみで考えられたビジネスは大抵おもしろみがない

これが最大の問題なのですが、社会起点のみで語られるビジネスには大抵面白みがありません。

おそらく、具体的に自分がどんなことをしたりどんなスキルを使って仕事をするかというイメージをもてない人は 自分が対象とするビジネスの受益者がどんな人でどんなことに困っているのかについての想像力も欠如している場合が多いです。

「社会問題に、自分が出来ることはなにか」という視点を持つことによって、はじめて「自分が出来ることの範囲で受益してもらえる人はどんな人か」というイメージが膨らんでくるのではないでしょうか。

まずは自分のことを掘り下げてみてほしいです。

個人的な思いとしては、スタートアップに関わりたいと思っている方は10年後自分がどうなっていたいのかや、自分に今何ができるのか、自分の発展性はどんなところにありそうなのか具体的にイメージしてみると良いのではという気がしています。

すごく俗っぽくていいと思うんですよね。

僕はカッコよくてチャーミングでいろんなことを楽しんでいて、優しい父親になりたいと思っています。 カッコつけるのが好きだし、いろんなことに夢中になっていたいし、後輩や子どもたちに憧れられる存在でありたいなと思います。

だからこそ、今のビジネスはカッコつけることも1つの意味のあることになっているし、いろんなワクワクすることを取り込む余地を残しているし、 それを通して若い人たちの成長に貢献しようという考え方につながっています。

個人的には、

イデアというのは複数の問題を一気に解決するものである というフレーズがすごく気に入っていて、だからこそそのアイデアがワクワクするのかなとも思います。

https://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

なんにせよ、一緒にワクワクするフィールドを作っていきたいですね。これからも頑張ります。