右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

ハッカソンで非エンジニアとして参加して優勝した話 #codefornamie

f:id:Morilin:20140623145500j:plain

先日、こちらのハッカソンに参加して浪江賞(事実上の最優秀賞)をいただくことが出来ました。

浪江町住民のタブレット活用を考えるハッカソン@福島 http://codeforjapan.doorkeeper.jp/events/11492

このハッカソンで目指したこと

このハッカソンで目指したのは本当に価値があると思ったアイデアを、住民の人にも価値があると思ってもらうことでした。

少しだけ個人的な事情を盛り込むと、その上でちゃんと自分の力を発揮し、最優秀賞に選ばれることでした。

過去2回の利用者=審査員型のハッカソンで失敗した経験

利用者=審査員になるハッカソンには、過去2回参加しましたがどちらも大ハズシしていました。

そのため、今回はもっと具体的な顧客をイメージしてそれを訴えかけようということを挑戦しようと思いました。

非エンジニアとして参加するという選択

過去のハッカソンを振り返ったときに、中途半端にサービス開発に関わった結果、顧客のえぐりだしやプレゼンテーションがおろそかになるということがあったと考えていました。 それが、いいところまでは行っても優勝にとどかないという状態から抜け出せない要因だと考え、今回は思い切って「非エンジニア」として参加することにしていました。

ハッカソンの中身について

今回私達が最終的に提案したものは「血縁」という、普段高齢者の方が日常的に計測している血圧を使って、話のきっかけづくりをしたり、もしものときのセーフティネットをつくっていこうというサービスでした。

著作権を再確認した結果、プレゼンテーション時とは多少画像が異なるものがあります。

チーム分け

浪江のハッカソンは基本的にはこれまでのアイデアソンで出てきたアイデアベースでチームビルディングをして、それを開発していこうという形式でした。

僕達のチームは、ヘルスケアの文脈でカテゴライズされたテーマに集まったチームでした。

チームの中で大事にしたこと

僕達のチームがもっとも大事にしたことは

浪江町の住民は高齢者が多く、大半の方がタブレットを使ってあたらしく何かをするというのは難しい」というユーザー想定でした。

そのため、タブレットを使うハッカソンにもかかわらず「いかにしてタブレットを使わずに価値を提供するか」ということでサービスの形態を模索していきました。

サービスの形態の最初のプロトタイプ

イデアソンで出てきたアイデアのうち、ベースにしたのは

「血圧計で計測したデータが自動的に同期され、それが健康管理になる」というテーマでした。

ポイントは先程も言いましたが「タブレットを使わない」ということです。

そこから、これは僕が問題提起したものですが 「解決すべきは個人的な健康管理ではなくて、地域コミュニティで行われてきたお互いの状況確認や助け合いが失われてしまったこと」

をとりあげ、コミュニケーションがなんらかの形でおこなえるような形にしていこうという方向で最初のたたき台が出来てきました。

サービスの模索。そして霧の中へ

この形にしていった段階で、「血圧を確認しあえるだけでは定期的にタブレットを見るモチベーションにならないのでは」という問題提起がなされます。

それに対して、「そもそも話のきっかけとなるのに血圧である必要はないよね。血圧以外の事も話せたら頻度があがるよね」ということで、一旦血圧を離れた形が模索されていきます。

その結果、「写真をとる」という行為のみを覚えてもらい、それを中心としたコミュニケーションが行えるサービスのような(facebookの簡易版)ものが 昼時点では案となっていきました。

しかしこれはこれで、「あえてそれをする理由がない」というメンターの方からの指摘があったりとか、 地域のつながりの複雑さの表現が極めて難しいということで、見事に霧の中にダイブしていくことに。

原点に戻り、かつこれまでの議論を生かす

まぁものの見事に霧の中にダイブしていった結果、にっちもさっちもいかなくなったので一旦最初の形にもどってみようとなりました。

当初に問題になった「定期的に見るモチベーションにならない」という問題をどうするかと考えなおした時に、これまでの議論や調査が生かされていきます。

まずはユーザー像の細分化。私達が最初に想定していたのは「タブレットの操作が難しいと思っていて、あえて新しいことをやろうとは思えない」ようなユーザー像をメインに想定してサービスを考えていましたが、 霧の中でなんとかしようと地域コミュニティの構造を把握していく中で、「積極的に地域の人と話したいという気持ちがあり、定期的に家を訪問したりする」ユーザーがハブのような機能を果たしていたことをしったり、巡回員の方が回数が足りないまでも定期的に避難先を訪問しているという実態を知ることとなりました。

これを踏まえて、血圧計測を中心として設計において

  1. タブレットでは基本的にはなにもしないユーザー(おおくの高齢者)
  2. 知り合いの人の状況を積極的に確認してくれるユーザー(地域のハブになっていた人、巡回員)

を想定して運用していくことで上手くまわっていくのではないかということで、最終的なデザインが固まっていきました。

役割分担と準備へ

役割をモック開発3名と、プレゼン作成2名で分担して作業をすすめていきました。

私は今回はプレゼン作成者としてガッツリ入り込み、シナリオと資料を作りこんでいきました。

その結果、先に埋め込んでいるようなスライドができあがり、発表した結果浪江賞をいただけることとなりました。

ハッカソンだけではなく、何かするのに必要だと改めておもったこと。

ユーザーを知ること

やはりユーザーを知ることが最も大事でした。ふと煮詰まった時は、ユーザーが明確になっているか、普段どんなことをしているかが明確になっているか、周辺にどんな人がいるかということを見なおして見るといいと思いました。

捨てる勇気と、ムダにならないと信じること

自分たちのやってきたことを捨てる勇気についてはよく言及されますが、捨てたものもムダにならないと信じることも同様に重要だと思います。

もし自分たちが議論してきた数時間を捨てた時に、これを本当に捨ててしまったら気持ちも落ちてしまうけれど、先につながるはずと思ってくことで気持ちが落ちずにすむし、本当に役に立つことが多い。経験上ムダかと思われた議論は8割がたなんらかの形で役に立ちます。

人生全般にもいえることだと思っています。そういう意味でスティーブ・ジョブズのこの発言をしたくだりを気に入っています。

先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ

できることに集中する、分担する。

今回は上手くチームで仕事が上手く分担し、それぞれの作業に集中出来たことが最終的な結果につながっただろうと思います。

特に自分自身が「プレゼンテーションに集中する」ということを念頭において進められたことは大きかったかなと。

まとめ

なんにせよ、プロセスに結果が伴ってきたのはすごく良い経験になりました。

テーマとしては、浪江町の抱える問題はこれからの日本が抱えるであろう問題である可能性も高いです。この問題に向き合ってみたことも良い経験になったと思います。

今週末は東京で開催されますので、よければ参加してみてばいかがでしょうか!

浪江町住民のタブレット活用を考えるハッカソン@東京

親しい友達でさえあなたの生活になんてほとんど興味がない

f:id:Morilin:20140506121025j:plain

会社をやめてから三ヶ月位経ちました。

その間さまざまな人とライフワークについてであったり、仕事の依頼や労働力の提供、生活資金のための仕事の融通のお願いなどをしてきたのですが、ここで、改めて気付かされたことがあります。

親しい友達でさえあなたの生活になんてほとんど興味がない

それは、「たとえ親しい人でも自分の生活の都合を考えてくれはしない(その人自身の生活に比べれば相対的に興味が無い)」ということです。

「近いうちに仕事をお願いするね~!」と言われてから全く音沙汰がなかったり、「いっしょに仕事をしよう!」と持ちかけられたのにその後のやりとりがほとんどできずに納期地近くまで丸投げ状態だったりということがあるわけですね。

そもそもこれは「所与の条件」だ

前職では、「所与の条件」というキーワードがよく使われました。要するにそんなのは前提として行動しないとだめだよってことです。

今回でいえば、他人が自分のことについて無関心なのは当たり前なので前提として行動すべきということです。

コミュニケーションの仕方を考えてみる

なので、ちょっと自分も受動的なコミュニケーションの仕方を考えないとだめだなと思って、もっと自分からアクションをとろうとするようにしはじめています。

一方で私の中で目下現在においてもハードルになっているのが、相手に気を使って催促や連絡するのを躊躇してしまうということです。

実際にただ忘れている時もあればかなり忙しくなって返信もできなくらいになってしまっている時もあるので、後者にあたると申し訳ない気持ちになるし、不快な印象をもたれるのも嫌ですしね。

でも、某政党のキャッチフレーズを引用すると「自分の生活が第一!」、ちゃんとやってもらわないといけないのでお互いに平和な催促や連絡の仕方を試みています。

何気ない話題をふることできっかけをつくる

たとえば今は、「最近こんな面白いサービスでましたけど見ました?」とか「こういうアイデアがあるんですけどどう思います?」みたいな内容をメッセージで送ってみるようにしています。

そうすると、相手も単純に失念していただけだったらすぐにそれと一緒に思い出してうごいてくれますし、気づかなくそのまま話が進んでしまっても「そういえばあの件って・・・」と話を切り出しやすいです。

また、本当に多忙なら忙しすぎて余裕がなくて・・・という返信がくるか、既読すらつかない状態になります。

既読もつかないような状態があまりに何回も続くような方だと、自分の生活のためにはよろしくないので他のアテを探したほうがよいかもしれません(基本的には自分がこれまで信頼してきた相手とやりとりをしているので、ほとんどないと思いたい)

最後にちょびっとだけ近況報告

まぁそんな感じでいまだ収入はゼロなんですが、ぼちぼちお金になる仕事をいただけはじめています。いつ報酬が手元に入るか調整していないから、そこをきちんとしないとね。

コーディネーターとして企画に参加させて頂いて思ったこと

2月の末ごろから現地の方々の意見を集約しまとめていくコーディネーターの立場として企画に参加させていただく機会があり、今も活動を続けていますが、そこで思ったことについて。

自分の意見はほとんどいらない

Facilitatorをする時に意識していること まとめ | コミュニティが拓く未来 PaduleBlog

で、habuchiさんも触れていますが、ファシリテーターやコーディネーターという立場の人間に、自分の意見はほとんどいりません。あくまでその場の参加者の方の自発的な意見と議論を促すにしかすぎない、というのが基本的なロールです。

今回の案件において私は自分の意見を結構言ってしまっているなぁと。 実際にそれで参加者の方から手厳しい意見をいただいたりもした部分もありました。

一方で、今回の私のコーディネーターの役割としてある程度主体的に議論をまとめ、明文化していくことが求められたので、そのバランスがとても難しかったなぁと思いました。

「あなた達の意見をこのように解釈した」という説明責任がある気がする

(今も現在進行形とはいえ)振り返って考えると、主観をどのくらい混ぜるか、という話ではなくて「私がまとめた意見はあなた達の議論をこう解釈したからです」ということをきちんと説明していくことだったのではないかなとおもいました。

主観が混ざっていたとしても、重要なのは参加者自身にその意見を「自分たちがつくったものをまとめてくれたものだ」というような認識を持って頂ければ良い。

そのくらいに思って残りの期間は頑張ろうと思います。

オリジナリティを発揮しようとするとたいてい碌なことにならない

オリジナリティを発揮しようとするとたいてい碌なことにならない。

これは大概の局面でそうだと思う。

昔、上司にこんなことを言われたことがある。

「あなたは今ある技術かもしれないけど、それを持ってきてうちに適用しようとする姿勢があるところは評価している」

つまるところ結果にたいして評価しながらも、君の仕事は新しいことを何らしていないからブレイクスルーしていないので、最高の評価をするには値しないということだ。

僕は何を馬鹿なことを言っているのだろう?この人は夢からいい加減に覚めたほうがいいのではないかと思ったことがある。まぁでも愚痴を言うことが主題では無いのでここで留めておく。

私の意見だが、もしあなたがその世界の第一人者でないのであれば、独創性を発揮しようとやってみるよりも今あるものをきちんと学習することのほうが先決だと言っておきたい。

そんなことより、それを状況に適用させる能力 - fit & gapをきちんと計測し、それをフィットさせる仕組みをつくることこそが、クリエイティビティを発揮すべきところだ。これこそが、あなたにしか出来ないブレイクスルーだ。

私が勤めていた会社のCEOである牧野さんはこういうことを言っている。

誰でも解決できる仕事、オンリーワンではない仕事を私は仕事とは呼ばない。そういう認識を持てる人が、ビジネスパーソンとしても経営者としても成功できると思う。

問題解決能力を身に付けるには|ワークスアプリケーションズCEO 牧野正幸のブログ

私はこの意見には賛成だ。

先の例でいうならば、「なにも学習していない、専門家でもないことにたいしてオリジナリティを発揮しようとする」というような誰でもできることではなく、「自分が置かれている状況にしかない問題を解決する」ことに注力することこそ、プロとして重要なことだと思っている。

そんな教訓を、「料理も何でもそうだけど守破離って大事だよねぇ」という日常会話の中で思い出したのでメモがてら書いておく。

新しいことをするために、積極的に東京以外を選択する理由

f:id:Morilin:20140304142212j:plain

※2014/03/16 大南さんの肩書きが誤っていたため修正いたしました。

近頃すっかり日本の地方の手先と化している気がします。私です。

3.11から3年たちました。当時は社会人として2年目だった私も、もう5年がたとうとしているという事ですね。

あのころは東京という中心地で経済に貢献することこそが復興への一番の近道だなんて意気込んでいて、今でもそれは間違いだとは思っていないですが、少しずつ考え方が変わりつつある気がします。

というのも、日本では急速に地方に移住する考え方のパラダイムチェンジが起きているように感じていて、自分もそこに飛び込もうと考えているからです。

具体的には、これまでの地方移住の考えが、都市への敗北の結果としての選択であったり、東京で培ったノウハウをまだ開拓されていない地方に持ち込もう的な考えであったり、社会から隔絶されてのんびりやろうみたいな考えに基づいていたものが、むしろもっとも豊かな暮らし、最先端の取り組み、社会を積極的につくりあげていこうという考えに変わってきているように感じる、ということです。

背景

一番の背景に通信のインフラとサービスが急速に整ってきたことが挙げられます。

今や、ある程度地方にいっても光回線は通っているし、携帯の電波は繋がるしLTEも入ります。

徳島にいたっては光ファイバー網普及率全国1位(人口1人当たり)です。

また、サービス側の方もTwitter, facebookはもちろん、Skype, Google HangoutなどのWeb RTCといったリアルタイムコミュニケーションをサポートする技術とサービスが整備されたこと、ITエンジニア界隈でいえばGithub, StackOverFlow, Qiitaなどの情報共有プラットフォームが普及してきています。

これにより、もちろんFace To Faceのコミュニケーションがなくなるわけではありませんが、逆にいうと実際にあって話さないと行けないこと以外はどこでもできるようになってきています。 極端な話、月に1回会って話せばいいだけなら地方で暮らしたほうが固定費は安いのです。

また、コミュニティに関しても上記にあげられたサービスによって着実にWeb化が進んでおり、「東京にいなければ新鮮な情報が手に入らない」という状況は徐々に少なくなってきています。

3.11という出来事はそれらが整ってきたところに、我々が地方に目を向けるためのスイッチを押したように感じています。具体的には災害時にtwitterの認知が一気に進んだこと、原発によって自分の健康や食べるものへの関心が高まったこと、災害時に集約型の社会構造はリスクが大きいこと、現状の政府や政治構造、マスメディアへの不信感とそれに頼らない方法を模索しようとなったことなどがその例だと思います。

その結果、この3年ほどで急速にこの変化が生まれているように感じます。

その中で、具体的に地方に価値を見出した人や企業が、少しずつではありますが地方に進出してきているのだと思います。

地方にいくことでどんな可能性があるのか

では、地方にいくことでどんな可能性があるのでしょうか。

いくつかおもいつくメリットを上げてみます。

優秀な人材を確保する手段として

ユニークな制度 | 新卒採用2014 | 株式会社 UNITED STYLE http://www.unitedstyle.co.jp/recruit/culture.html

たとえば、上記のUNITED STYLEなどは、働く人が豊かに生きることを目的に有機や無農薬・自然栽培野菜を使ってつくられた自然食を福利厚生として提供しています。

このような手段を達成するにあたって東京である理由はないし、東京以外のほうがむしろ達成しやすいといえるでしょう。

美味しいご飯を食べるのは、本来ならば産地に近いほうがいいに決まっています(実際はこうなっていないという問題もあるのですがそれはまた別の話)。

新しいビジネスチャンスとして

高齢化社会の都市モデル

南相馬で聞いた話は、震災をきっかけに当初2035年に到達するだろうと言われていた人工ピラミッドの構造になっているそうです。南相馬に行けば日本が20年後に到達する状態を先取りできます。

普及が容易い

人口が少ないということは、普及させることはそれほど難しくありません。

東京で300人の子供に教育を施しても大したインパクトはありませんが、 地方で300人の子供に教育を施すと、下手するとその地方すべての子供が対象です。

地方全域で革新的な取り組みをしているとなれば、社会の注目度も圧倒的に違います。

新しいプラットフォームやサービスの試験やそのインパクトを計測するのに、地方はうってつけです。

例を上げると、島根県海士町という離島では「島前高校魅力化プロジェクト」という計画を立て実行し、世間の注目を集めることに成功しています。その結果として着実にIターンしてくる若者を増やしています。

島前高校魅力化プロジェクト

新しい都市計画・地域政策として

東京のように、

「ビルをブッ建てとけえ!(建築業界の人ごめんなさい)、経済発展させとけぇ!」

というのではない都市計画や地域制作を実際にトライすることができるのも魅力です。

緩やかに衰退していく街をどう計画するか、あるいはどう維持可能にしていくか。

注目度の高い神山町町長理事長の大南さんは「創造的過疎」をキーワードにまちづくりを進めています。

大南信也さん|徳島県 神山町|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する

これはちょっとぶっ飛んでるかもしれませんが、原発を逆に観光地にしてしまえみたいなコンセプトもあったり。

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

あるいは、中国の荒廃した産業地域でこういうことをしたい、という構想もあるみたい。

電力自給率100%超! 消費するよりも多くの電力を発電する街 : ギズモード・ジャパン

固定費を下げる目的として

少なくとも今は、地方にいくことによって大きく固定費を下げられる可能性があります。 これも今は地方の価値といっていいでしょう。そのぶん他のことに投資できますから、先述した人材確保のための資金に使ったっていいんです。

今後、これが加速していくためには低リスクで地方に参画できる仕組みの整備が必要

おそらく、今後この動きは少しずつ加速していくし、個人的には加速すべきだと思っていますが、現状まだまだ課題もあります。

一番の問題として、地方で(地方の)仕事をするというのはややリスキーな選択に見えることは間違いないです。市場規模も小さく、将来この場所が維持されているのかもわからない状況に飛び込むというのは結構勇気のいる決断です。UターンならまだしもIターンだとなおさらでしょう。 (かくいう私も生まれも育ちも大阪ですのでIターンになるわけです。そのリスクヘッジの方法を今色々と検討して&していただいているところです。)

そうした問題に対処できる社会基盤として低リスクに参加できるしくみ、たとえばクラウドワークスやイノベーション東北で提供されるような形での協力を出来るようにしていくとか、東京にいつつ出来るだけのことはしたいと言っている人を受け入れる地方側の意識であったり、そういう人に地方から報酬を少しでも払えるような社会制度(雇用含む)づくりが求められるのでしょう。

そのあたりはまた今度書こうと思います。私も実現できていないですしね。

「オーナーシップ」をもう少し具体的な定性的指標に落とそうとしてみた。

「主体性」なんて表現したらわかりにくいから、考える

オーナーシップは主体性なんて表現されるけどなんかわかりにくいし、 仮にそれを人に指摘するとして、主体性がないなんていったら大概の人は「そんなことない」っていうわけで、改善してもらうためにもあまり適切ではない。

だから、もう少し発揮できている度合いについて定性的に考えてみる

オーナーシップが発揮できている状態

Lv1.問題の解決に取り組んでいる

まず何よりもこれだと思う。

自分が対象とすべき問題の解決に実際に取り組んでいる状態である。

これをできている人は多いと思う。

Lv2.問題は解決できると考えている

意外とこれも大事だと思う。取り組んでは居るが実のところ解決は難しいなんて考えている場合や、自分が今与えられたことをやっていれば誰かや時間が解決してくれるだろうなんて思っている場合、それはオーナーシップを十分に発揮できているとは言えない気がする。

ただ、受動的に問題に「向かうことになっている」のであって「自分の意志で向き合っている」のではない。

Lv3.同じ問題に向かうはずの人と対立構造を作らない。

ここまで考えている人は少ないと思う。本来同じ問題に向かっているはずの人たち(会社の中で自分が開発者なら、セールスやコンサルタント。部下や上司も。お客様も。)と対立するような構造を作らない状態、存在していれば解消する方向に動いている状態。

これができていないというのは、問題に本質的に向き合っていなくて自分の利害関係が働いてしまっているということがいえると思う。

Lv4.同じ問題に向かうべき人を巻き込んで協働できている

その上で、具体的に彼らと協働することができている

保守担当なら、セールスと協働してマーケットの情報を分析し、それを定量的に示すことで開発にも十分に理解してもらった上で製品開発に取り組んでもらうというようなやり方がとれている状態である。

これができているというのは、問題に対して解決をするために多方面の協力が必要だと理解し、実際に取り組めているということ。これが一番良い状態。

僕は「きっと何者にもなれない」恐怖とこれからも対峙し続けるのだと思う

なんとなく、漠然とした不安に包まれたのでこういうことを心の整理がてら書いてみようと思います。

社会に対峙したとき、僕はあまりにもちっぽけだ。

社会にインパクトを与えられるような技術もなく、肩書もなく、人脈もなく、それほど計算高くもなく、政治力があるわけでもない。そんな自分。

そんな自分が、社会に対して何か爪あと - 決して自己顕示欲を発揮したいではなく、実現欲求としての爪あとを残したいと考えたときに、ぶちあたる壁は残酷なまでに高いんですよね。

自分よりすぐれたプログラマ、肩書も実力も伴ったリーダーを目の前に対峙して、彼らと肩を並べてなにかをなさねばならない。自分に果たしてそんなことができるのか、という不安やモヤモヤと対峙しなければいけない。自分という人間を信頼した人たちが相対的に損害を受けてしまうという恐怖と対峙しないといけない。

じゃあどうすんだよ。このまま腐るのかよ

ってなると、なれないんですよね。

だから僕はきっと何者にもなれなくても、その恐怖と対峙し続けないといけない。 何者にもなれないことを諦めることが出来ないなら、「何者か」になるまで続けないといけない。

何者かになるのは結果だし、今は問題の解決にフォーカスしよう。できるかどうかもわからないが、対峙しないといけない問題と。