「段取り」の文化にみる関西と東北の文化性の違い
関西人と東北の人にはギャップがある、と感じる。
大阪人は「おもろかったらなんでもOK」なところがある。 失礼でも不躾でもなんでも、最終的に面白かったらOK.
もちろん、失礼でかつ面白くなかったらそれは大批判を浴びることになる。 でも、そこは笑いのブルーオーシャンなので大阪人が積極的に飛び込む部分でもある。
ちなみに段取りが出来たからといって「面白い」わけではないので、 段取りをしたから評価される、という文化はあまりない。
逆に東北の人はプロセスで人を見る。 それがいわゆる「段取り」なのだが、事前に相談したかとか、似たような業者に仁義を通しているかとか、そういうのがある。
それができているか、できていないかで評価される部分があるので、 できているとそれだけで「ふるいに掛けられた」状態になる
だから、ここをクリアした瞬間、協力が得やすくなるというメリットもある。
震災後、やはりかの震災を受けた関西人は一杯東北に来たみたいだが、 十分に活躍できている関西人は多くないように思う。
関西人的には「おもろかったらなんでもえーやん」となりがちなので、 こっちにきて軋轢を生んでいる部分もあるように思う。
「コミットメント」に思うこと。
「それができなくなる、と思うと辛いか辛く無いか」
これだけでいい。自分は今やろうとしていることが出来なくなるととてもつらい。 なくなると辛いので、どうしても投げ出したくはない。 これを「生業」と呼ぶとしよう。
「生業」でないものを、「お手伝い」と呼ぶすると、 「お手伝い」というのは「お手伝い」であるがゆえに、なくなっても辛くない。
なくなっても辛くないが故に、カンタンに投げ出せる。 「お手伝い」をお手伝いでないかのように見せることはできる。 というかそれが「ビジネススキル」の中では重要な部分もある。
しかし、何か成し遂げたいときに、どちらの人間を集めるべきかというのは明白である。 お手伝いをお手伝いじゃない風に繕える人材より、 生業と出来る人を集めたほうがいいにきまっている。
もし、選択権があるならば出来る限りそうすべき。 そう思っているからこそ、 自分が「お手伝い」なら出来るよ、ということに対し、 「でも『生業』にしてくれる人がいるならそっちを選んだほうがいいよ」 というほうが私にとっては正義であり、道義であり、誠実な態度である。 のがした魚は大きいかもしれないが、 1mのブラックバスよりも20cmのアジの方が釣りたいのだ、私はね。
取り組む問題は1つにフォーカスするより、複数の問題に着手したほうがいいかもしれない
僕は大学生のころから
「1つの問題にフォーカスし、資源を集中せよ」
とか
「複数の目的があると実施段階でぶれてしまい、良い解決ができなくなる」
といったことを言われてきて、そういうことを念頭においてきました。
1)1つのアイデアを解決するだけでは十分な収益をあげられない
例えば、「地域に雇用を生み出す」というテーマがあったときに、特定の地域ではあげられる収益が少なすぎる、と言った問題はどこでも発生しうると思います。
そのときに 「1つの地域でダメなら複数の地域でやって上手くできないか」 「1つの事業でダメなら複数の事業を同時並行させることで上手くできないか」 という風に考える事で、
「ITを活用すれば複数拠点で事業を上手くできるかも」 「コワーキングスペースのようなものをつくってお互いにシナジーが得られる事業がないか」
といったことを考えだすようになり、工夫できる余地が生まれるのではないかと考えています。
2)問題自体がトレードオフの状態になっている
これを上手く説明するのが、以下の記事。今スプラトゥーンが久々の新規ヒット作として話題になっていますが、この記事をみてもらうのが良いと思います。
マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 枯れた知識の水平思考 "「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」" HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com
大きな問題を考えた時に、何かをやろうとすると何かが立たなくなる。 こういった「均衡状態」に陥っているからこそ、 現状が変わっていないからこそ、問題として存在し続けているとも言えます。
だからこそ、「複数の問題を同時に解決できないか」「あっちも立てて、こっちも立てることができないか」と考えることで、1つの問題を解決しようとしても難しかったことの解決策を思いつくことがあると思っています。
こうした思考のトレーニングに有用なツール
こうした思考のトレーニングをする上で、闇雲にやるよりもフレームワークをうまく活用することをオススメしています。
個人的には、「考具」という書籍がオススメです。
- 作者: 加藤昌治
- 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
- 発売日: 2003/04/04
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問題点・課題
もちろん、こうした考え方にデメリットがないということではないです。
チームで動く場合に、メンバーに高い共感が必要
先に上げましたが、「複数の目的があると実施段階でぶれてしまい、良い解決ができなくなる」 というポイントはものすごく重要です。ここの統一が図られずに見るも無残に瓦解していくプロジェクトをいくつも見てきました。
なので、こうしたことをするときには、わかりやすいステートメントにおこしておくなどして メンバーへの共有を図る努力を怠らないことが重要だと考えています。
問題をシンプルに考えていくことはトレーニングとして重要。
ただし、大学生のころは逆にこういうことを言われていて良かったなと思っています。 1つの問題と、その解決策を突き詰めて考える訓練をしてきたことによって、 その限界や問題点が見えてきた、という部分があるからです。
特に若い時、自力があまりないと感じるときにはまずは1つの問題にフォーカスし、チャレンジしていく経験を積んでいくのも良いと思います。
新しいことをやろうとすると体が震える問題
端的にいう。怖い。
自分一人の生活すら、安定しているのかどうかもわからない。 そんなときに誰かを巻き込めるのか。
新しいことをやろうとして、中途半端になって周りの人に迷惑だけかけて終わってしまったらと思う。 そんな気持ちで誰かを巻き込んでもいいのか。
毎日そういった不安と闘いながら、コントロールしようと努力している。
「文化の違い」が「何もしない時」以上の摩擦を生むのはあまりにももったいない
ちょっと身近でこういう話があって、「田舎暮らし」という「文化的な違いのどまんなか」にいる身としてはいたたまれない気持ちになります。
「訪問先で出されたお茶を飲むのは失礼だ」という文化もあれば 「出したお茶に手を付けないのは失礼だ」という文化もある
「スーツを着ないのは礼儀に反する」という文化もあれば 「スーツを来て仕事をするのは非効率でビジネスをないがしろにしている。あるいは多様性に反する」という文化もある
「形が出来上がる前に持っていくのは失礼だ」という文化もあれば 「協業できそうなことを事前に相談しないのは失礼だ」という文化もある
「具体案が無く挨拶だけ、というのは時間のロスだ」という文化もあれば 「挨拶もせずに具体案を持ってくるなんて失礼だ」という文化もある
本来、こうした作法の多くは「コミュニケーションを省略することで摩擦を最小限に抑える」ためにあるであって、これが食い違うことで「なにもない時以上の摩擦」を生むのであれば本末転倒、という気がしています。非常にもったいない。
重要なのは「お互いの考えを尊重し、理解し歩み寄ろうする」ということで、その経緯さえなくさなければ大抵のことは上手くいくのではないかなと思うのです。
何が言いたいかって言うとこういう軋轢の中で苦しい思いもしていますが森山は元気です。