右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

森山ってなにしてんの?という質問に対しての回答

というか、自分用に整理に近いかもです。

記事の目的としては

  • 身近な人ですら「なにやってるのかよくわかんない」ッて言われることが多いので、説明用に整理
  • 体1つで働くことへの感想を求められることが多くなった 地域で働きたいとおもっている人たちへ何か参考になるかもと思ったので整理 なにより本日のグダグダに対する反省として、自分の状況を整理しなおすこと

以上を踏まえた内容になっています。

なんのために此処にいるのか?何をしたいのか

これからの社会を担う、「問題解決型人間が生まれる地域」を産み出す取り組みをしてきたいと考えています。 そのためには、以下の様なことが必要だと最近は考えています。

教育
  • 主に若者に向けた比較的狭い意味での教育(トレーニング)活動
文化・交流
  • 「この場所で楽しめる・楽しみを作り出せる(否定されない)」価値観や空気感を作り出す
  • そのために、多様な人と交流できる状況を生み出したり、発信していくこと
課題解決フィールドの整備
  • コミュニティの形成や維持拡大
  • 地域活動の組織化
  • 課題の見える化

なぜそれをしようと思ったのか

  • 課題解決能力はトレーニングできる能力
  • にも関わらず日本ではあまり具体化されておらず、ごく一部の人が享受しているのみ
  • 社会人になった時には埋められないくらいの差になっており、可能性のある人材を損失している
  • 結果として日本社会全体の課題解決への推進力が低下していて、なんとなく閉塞感につながっている ような気がしているので。

現在の働き方、形態、主な収益源など

  • 個人事業主という働き方
  • 俗にいう「ノマドワーカー」に限りなく近い生活をしている
  • コワーキングスペースを利用したり、  地域のNPOさんのご厚意で事務所を間借りさせてもらったりしています。
  • 幸いなことに自ら「営業活動」みたいなことはそんなにしていなくて、  興味のある活動に参加したところから広がったり、ご紹介いただいたりして  仕事につながっている。
  • とはいっても「儲かって仕方がありまへんなゲヘヘ」という感じでは決してない
  • より考えこむ時間、試される時間が多くなったので、  基本的には自分がイメージする稼働率に届かない。  それを踏まえてお仕事を発注いただくように極力気をつけています。  (あとで語りますがオーバーフローしてしまうことがちょいちょい起きています)

いま具体的にはどんなことをしているか

1.商業高校と連携したプログラミング講座の実施 2.小高区における(特に若者の)帰還を促す(挑戦したり、楽しめる環境でもあることを発信する)  フリーペーパーの刊行 3.民家を利用した体験移住できるシェアハウスの計画 4.商業用「デザイン」から街に変化を産み出す試み※ 5.生業としての、HP製作やシステム開発や導入、企画の仕事 6.その他、諸々のお手伝い

4,5が収入的には中心となっている

食えているのか、これからの見通しなど

1.2=> これらを組織化していけるようなスペースの確保をしていきたい。    中心的な参考事例になるのはやっぱりイトナブ石巻さんだけれど、    そこにカマコンバレー的な地域の組織化機能みたいなのが合わさっているイメージが良いなと思っている。    全部自分でやることにこだわりはないので、小高ワーカーズベースさんや地元の商工会などと    上手く連携していきたいなとか思ったり。このあたりはまだフワッとしています。

3=> ちょっと宙ぶらりん

4=> もう少しクロージングや収益化の仕方をキッチリやっていかないとジリ貧になりそうな不安がある。   中途半端なコミットメントになりがちかも、と考えている。ここが一番最近不安。   単発の仕事よりも継続的なお付き合いができるようなしくみや、自分としての能力開発が必要という認識

5=> お金になるならないは置いといて地域に必要だとおもったことならやる、というスタンスは続けていきたい。

実際どうなの?みたいな曖昧な質問に答えるとしたら

正直にいうなら、この働き方をして楽になったところとめっちゃ辛くなったところがあります。

楽しい、楽なのは・・・
  • 自分がやりたい、と思ったことへ進んでいる感覚
  • 全部自分の責任でやれること(休むのも働くのも自分次第)
  • ちょっとしたことで喜んでもらえたり、目をかけてもらえるお客様との距離の近さ
きついのは・・・
  • 自分のことは自分で決めないといけないので、  慣れていない分野(僕の場合はキャッシュマネジメント、リスクと投資計算)でむちゃくちゃ不安になること
  • それが本来自分が出来てたはずのこと(クイックレスポンスやコミットメント)に影響を及ぼしていって、  自信&信用喪失していくこと
  • 進んでいない=自分の力不足をダイレクトに知らしめられるので、苦しいこと。

イケハヤさんみたいに東京人を煽ることもしないというか、むしろ東京より消耗はしている感じですね。 東京ではバリアー床歩きながらホイミかけてた感じだけど こっちではベホマかけながら痛恨の一撃受け続けているかんじです。 感情の起伏が激しくなったという意味では、健全化しているかもしれません!笑

こういった問題を抱えていることを自覚しているので、将来のことで不安になることもあります。 ちょっとしたことで信用を失ったりしてしまうこともよくわかっているので、 こうして時々信用を失うことをしてしまったという自覚をしたときに、ひどく落ち込んで不安になります。 こんな調子でやってたら、2年後3年後大丈夫なんですかねぇ、という不安です。

1年やった感想や成長したこと

とにかく「人を巻き込む」というテーマについて考えさせられました。

なんとなく、自分はマネジメントの本を読んで「自分と相手の利害や価値観を一致させること」が大事だと思っていました。 いや、それはもちろん凄く大事なことに変わりはないのですが、それらがほとんど一致していたとしても、 それすなわち一緒にうまくやれるわけではない、ということを強く感じています。

それよりも、それ以前の問題として 「自分がコントロールできる人や環境を大きくしていくこと」が重要と感じました。

コントロールできる、というとなんだか表現が悪いですが、 ようは

  • 「多少意見が違うけど森山のいうことだし間違いないだろうから協力してやろう」と思ってもらえるようにすることとか
  • きちんとお金を払ってやってもらえるようにすること(⇔一緒にゼロからお金を稼ぎましょう!みたいなのは微妙)
  • 自分がテイクできるリスクの範囲を増やすこと
  • 即座に処理可能なことを増やしていくこと  (事務処理とかどんなのが必要なんだ?とか、あの場所ってどうやって借りるの?とか   あの人に話をするためにはどういうルートでやればいいの?そういうことで手間取ってグダった印象強い)

が重要だと感じた、ということです。

たぶん、自分の問題発見能力や、それを解決するための専門的な能力は、十分重宝してもらえるレベルなんだという感触を得ています。

一方で、ちょっとオーバーフロー気味な時にポロポロ取りこぼして、 そういう小さな積み重ねで信用を失ってしまうケースも多々あるなと感じています。 ちょっと人間関係に過敏すぎるのも、 良い部分(最初の印象はそれなりに思ってもらえることが多い)と 過剰に落ち込みすぎてしまう(すると調子悪いときに印象を悪くしてしまう)悪い部分があります。

こうした部分を上手くやりくりできるように苦しみもがいて、少しは出来るようになったのかな・・・とは思いたいですが、 それを実感できるまでには成長してない、というのが正直な感想ですね。

まとめ

最近の心境をまとめてみるとこんな感じだった。 なんか、何でも1つ欲しいものが叶うなら 「自分と一緒に不安や悩みを共有してくれて、解決にコミットしてくれる人」がほしいなぁって思います。 フロンティア南相馬の皆さんや、小高ワーカーズベースの皆さんには非常にお世話になっていて、 問題意識を共有したりということはできていますが、どこまで言っても違うことをしている方たちで、 寂しくなることがあります。 彼女や友人、及川さんや川口さん、前職の同僚やスタートアップ界隈の気にかけてくださっている方々と 上手くそのあたりを共有したいなという想いもありますが、

自分のこういった感情や状況をリアルタイムに共有する、 というのがどうしても上手くできなくてこんな処で整理しないとうまく説明できない。 こういうところ、ダメなんですよね。。。

なんとなく、銀河英雄伝説がにわかに話題になっていますから、僕の好きなヤン提督の、この言葉で締めようと思います。

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他人がこんなことをしたら、バカに違いないと思うだろう。だけど、私は結局こんな生き方しかできないんだ ヤン・ウェンリー

僕にとって大事な人に言われました。 「ジーニアスだけどスマートじゃないよね」と。なんだか凄くしっくり来たんです。 なんとなく、ヤン提督の生き様もそうだなってふと思い返した、 それでも頑張らないとなってのでちょっとセリフを拾ってみました。

これからも、頑張りますね。

ここまで見てくださった皆様、 気にかけてくださってありがとうございます。何卒これからもよろしくお願い致します。

新国立競技場問題に思うこと

新国立競技場問題はデザインが悪いとか、 お金がかかるとかいうことが問題なのではなくて、 その過程やら理由やら経緯が全く見えない、 明らかにならないことが問題なんだと思うんだけど、 なんだか最近の話題を見ていると問題が矮小化されている気がする。

自分は東京がこういう街を目指すべきで、だからザハのデザインなんだという理由付けがあれば納得できるし、 それについてこのくらいシンボリックな意味があるということであれば多少金額なんて高くてもイーじゃんって思う。 (逆に言うとすっと落ちてないのはあのデザインがあそこにあるのは東京らしいんだっけ?とは思っている。埼玉とか茨城につくるなら納得する) けど、その部分が全く出てこないのが問題なのであって、 デザインが市民感情からずれているとか、お金が他よりもすごくかかるとかはどうでもいいんだよね。とか。

信頼せよ、そうでなければ全部自分でやりなさい

他人は自分と同じ考え方ではないのだから、多少は考え方にズレがある。 それは自分にとってみれば「相手の能力が足りないからだ」と写るかもしれないが、 それを許容し、信頼し、激励することがマネジメントでは重要な要素であると思う。 あるいは、傾聴し、自分の考えを伝え、説得し、納得してもらい、彼自身の判断によって自分と同じ決断を下すように支援すべきだと思う。

もし、それが出来ないのであれば全部自分でやるべきだ。 ろくな傾聴もせず相手の考えを否定することは、その分モチベーションを下げることにつながる。

それをしないマネジメントは「責任放棄」か「職務放棄」のどちらかだろう。 ろくな仕事もせず「俺のいったとおりにやらなかったからアイツは失敗した」などとのたまう人間にだけは絶対になってはいけない。

もしマネジメントの立場にあってそういうことを思うのであれば、こう言いたい

「全部自分のせいだ」と思えるくらいまでやってみなさいよ、とね。

「段取り」の文化にみる関西と東北の文化性の違い

関西人と東北の人にはギャップがある、と感じる。

大阪人は「おもろかったらなんでもOK」なところがある。 失礼でも不躾でもなんでも、最終的に面白かったらOK.

もちろん、失礼でかつ面白くなかったらそれは大批判を浴びることになる。 でも、そこは笑いのブルーオーシャンなので大阪人が積極的に飛び込む部分でもある。

ちなみに段取りが出来たからといって「面白い」わけではないので、 段取りをしたから評価される、という文化はあまりない。

逆に東北の人はプロセスで人を見る。 それがいわゆる「段取り」なのだが、事前に相談したかとか、似たような業者に仁義を通しているかとか、そういうのがある。

それができているか、できていないかで評価される部分があるので、 できているとそれだけで「ふるいに掛けられた」状態になる

だから、ここをクリアした瞬間、協力が得やすくなるというメリットもある。

震災後、やはりかの震災を受けた関西人は一杯東北に来たみたいだが、 十分に活躍できている関西人は多くないように思う。

関西人的には「おもろかったらなんでもえーやん」となりがちなので、 こっちにきて軋轢を生んでいる部分もあるように思う。

「コミットメント」に思うこと。

「それができなくなる、と思うと辛いか辛く無いか」

これだけでいい。自分は今やろうとしていることが出来なくなるととてもつらい。 なくなると辛いので、どうしても投げ出したくはない。 これを「生業」と呼ぶとしよう。

「生業」でないものを、「お手伝い」と呼ぶすると、 「お手伝い」というのは「お手伝い」であるがゆえに、なくなっても辛くない。

なくなっても辛くないが故に、カンタンに投げ出せる。 「お手伝い」をお手伝いでないかのように見せることはできる。 というかそれが「ビジネススキル」の中では重要な部分もある。

しかし、何か成し遂げたいときに、どちらの人間を集めるべきかというのは明白である。 お手伝いをお手伝いじゃない風に繕える人材より、 生業と出来る人を集めたほうがいいにきまっている。

もし、選択権があるならば出来る限りそうすべき。 そう思っているからこそ、 自分が「お手伝い」なら出来るよ、ということに対し、 「でも『生業』にしてくれる人がいるならそっちを選んだほうがいいよ」 というほうが私にとっては正義であり、道義であり、誠実な態度である。 のがした魚は大きいかもしれないが、 1mのブラックバスよりも20cmのアジの方が釣りたいのだ、私はね。

信頼関係とは「同じ問題にコミットしているから分ち合おうぜ感」である

信頼関係とはなにか、と聞かれたら

「同じ問題にコミットして、一緒に解決しよう。だからその間の楽しみや苦しみを分ち合おう」 ということじゃないかと思ってきた。

だから、一方的に相手を攻撃したり、 自分の感情だけを吐露して生産的ではなかったり、 上下関係でやりとりしている気になったりしては成立しない。

お互いに対等な立場で、自分の考えをぶつけ、相手の考えを聞き取り、 そしてお互いが満足できる止揚アウフヘーベン)にたどり着く。

そういった繰り返しのプロセスを踏めること自体が信頼関係、といえるのではないか。

取り組む問題は1つにフォーカスするより、複数の問題に着手したほうがいいかもしれない

僕は大学生のころから

「1つの問題にフォーカスし、資源を集中せよ」

とか

複数の目的があると実施段階でぶれてしまい、良い解決ができなくなる」

といったことを言われてきて、そういうことを念頭においてきました。

一方で、最近の自分のアイデアや、面白いなぁと思ったアイデア

1)1つのアイデアを解決するだけでは十分な収益をあげられない

例えば、「地域に雇用を生み出す」というテーマがあったときに、特定の地域ではあげられる収益が少なすぎる、と言った問題はどこでも発生しうると思います。

そのときに 「1つの地域でダメなら複数の地域でやって上手くできないか」 「1つの事業でダメなら複数事業を同時並行させることで上手くできないか」 という風に考える事で、

「ITを活用すれば複数拠点で事業を上手くできるかも」 「コワーキングスペースのようなものをつくってお互いにシナジーが得られる事業がないか」

といったことを考えだすようになり、工夫できる余地が生まれるのではないかと考えています。

2)問題自体がトレードオフの状態になっている

これを上手く説明するのが、以下の記事。今スプラトゥーンが久々の新規ヒット作として話題になっていますが、この記事をみてもらうのが良いと思います。

マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 枯れた知識の水平思考 "「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」" HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com

大きな問題を考えた時に、何かをやろうとすると何かが立たなくなる。 こういった「均衡状態」に陥っているからこそ、 現状が変わっていないからこそ、問題として存在し続けているとも言えます。

だからこそ、「複数の問題を同時に解決できないか」「あっちも立てて、こっちも立てることができないか」と考えることで、1つの問題を解決しようとしても難しかったことの解決策を思いつくことがあると思っています。

こうした思考のトレーニングに有用なツール

こうした思考のトレーニングをする上で、闇雲にやるよりもフレームワークをうまく活用することをオススメしています。

個人的には、「考具」という書籍がオススメです。

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

問題点・課題

もちろん、こうした考え方にデメリットがないということではないです。

チームで動く場合に、メンバーに高い共感が必要

先に上げましたが、「複数の目的があると実施段階でぶれてしまい、良い解決ができなくなる」 というポイントはものすごく重要です。ここの統一が図られずに見るも無残に瓦解していくプロジェクトをいくつも見てきました。

なので、こうしたことをするときには、わかりやすいステートメントにおこしておくなどして メンバーへの共有を図る努力を怠らないことが重要だと考えています。

問題をシンプルに考えていくことはトレーニングとして重要。

ただし、大学生のころは逆にこういうことを言われていて良かったなと思っています。 1つの問題と、その解決策を突き詰めて考える訓練をしてきたことによって、 その限界や問題点が見えてきた、という部分があるからです。

特に若い時、自力があまりないと感じるときにはまずは1つの問題にフォーカスし、チャレンジしていく経験を積んでいくのも良いと思います。