官民連携のあり方について - 官に頼られる民であるべきというスタンス
今日インタビューを受けている中で、「行政(官)と民間(民)の連携はどのようにしていくべきか」という問いがありました。
私としての答えは「まずは行政に頼られる民でならねばならない」としました。
この背景に、小高区復興拠点施設について非常に歯がゆい思いをしたことがあります。
復興拠点施設のワークショップでは、再三に渡り市民とのワークショップが開催されましたが、 土地で敷地が小さくなり、機能的な縮小をしました。 その中で、「中のソフト部分についてはハード以上に市民の声を聞きながら、地域の人たちが運営できるように進めていきたい」という話があったにもかかわらず、 その後一回もワークショップ等が開かれることなく、公営で動き出そうとしています。 小高区復興拠点施設の愛称決定 - 南相馬市
また、今回愛称を募集し、「小高交流センター」という名前に決定していましたが、マーケティングの素人が考えなしに募集し、素人が応募し、素人たちの極めて保守的な意思決定によって愛称が決定されるというのは、 正直に行ってお金と時間の無駄遣いであり、悪政以外の何でもないと思っています。 www.city.minamisoma.lg.jp ※名前自体の是非は問いません。戦略によっては小高交流センターというのはわかりやすく良い名前だとも取れます。その戦略なしに保守的な意思決定がなされている状況には批判的です。
一方で「もし、この名付けやマーケティングにおいて、業界で名を馳せるような事業だったら、きっと相談を受けられたのに」という思いもあります。 また、復興拠点施設の機能自体についても、本来民主導で賄えないか考えるべきことがたくさんあると思っています。
こうしたときに、自分たちができることは、行政の批判をすることに力を割くのではなく、 ビジネスアカウントとしてしっかりとした成果を上げ、それを丁寧に発信し、ときには行政ももり立てながら前に進んでいくことだと考えています。
官に頼られる民となれば、自ずと行政も協力してくれますし、こちらが行政執行の品質のイニシアティブをとって進めていくことも可能だと考えます。
いたずらに大きく見せようとか、自分の思い通りにならない現状をなげくのではなく、一歩一歩ふみしめていきたい。 まずは目の前の問題を丁寧に切り開いていきます。
福島とか放射能とか、最近あんまり県外の人には情報がアップデートされてないように思うので私的見解を整理しておく
コンビニのお米からセシウム137検出。日本だけは報道されない「日本の恐ろしい現実」。トリチウム入り高濃度放射能汚染水を海に捨てる日本の実態とは。
こういう記事が流れてきたのですが、最近はあまりこういう関連情報福島外の人にアップデートされていないと感じるところがあるので、原発を視察した上で知っていることや見解について示しておきます。こちらの詳しい情報発信については一般社団法人AFWさんの情報をキャッチアップすると良いと思います。(http://a-f-w.org/) 福島原発って廃炉で何しとんねんっていうのが気になる人はhttp://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/pdf/hairo2017_01.pdf 読むと良いと思います。
福島が~とかではなく、みんな冷静に身の回りの生活確かめような、という気持ちです。農薬とかについては個人的に最近ちょっと気になってるけどキャッチアップしてないんで知らんので詳しい人は教えてという感じ。
0) 前提として把握しておいてほしいこと 1) "汚染水"放出について 2) 内部被曝について 3) 甲状腺がんについて 4) そもそも"毒"?
前提として把握しておいてほしいこと
- 放射性物質は自然界にもあって、何もなくても被曝していること。
- その量は場所によって違う。日本だと0.05μSVhくらいがおおいけど、北欧いくと0.7μSVhくらいあるところもあるそうです。ちなみに今私は住んでいるところは0.15μSVくらいで、もう少し南に行くと桁が1つあがります。0.22μSV(だっけ)が年間1mSVの被ばくの目安と言われていて、避難解除も概ねそのくらいを目安に実施されているはず
- どうしても「放射能は少量でもDNAに直接作用して非可逆な破壊を起こす」という怖さが強いけど、人間には修復機能がある。これを上回るとエラーを修復できなくなる。これがないと生きてるだけでDNAエラーで絶滅する。なので、ゼロをやみくもに信仰するのではなく、量とリスクを天秤にかけるべきこと。これは放射性物質以外でも同じ。塩とアルコールならできるのに被ばくでできないのはなぜ。(え?できてないって?)
- 人体への悪影響があるものは被ばくだけではない。他のリスク(この記事でもあがってるけど農薬とかね)とのバランスも勘案して自分が良いと思った判断をしてほしい。
"汚染水"放出について
まずそもそもこの"汚染水"とされているものが何かと言うと、まず、原子炉を冷やす冷却水というのがあります。原発は熱を持ってるので冷やさないといけない。これだけならいいのですが、原子炉の地下には地下水が流れてるのですが、原子炉に少しひびがはいっており、そのために地下水もまざってきちゃう。それが海に流れ出ちゃまずいよねということで、ポンプで汲み上げてるですが、それが毎日400トンくらいあるという状況です。この地下水を止めようというのが凍土壁。
実際の汚染度はそこまで高くなくて、さらに取り除けるのはのぞいているんだけど、トリチウムだけはたしかうまく取り除けないとかで少し残ってしまう。この水ですが、1日に400トンもあるのですごい量です。原発敷地内にタンクを延々と作り続けてる状態は、経済的にもあまり良くない。というわけで海洋放出したいというのが政府と東電のスタンス。
これについて、私は一定の理解を示しつつ、「十分薄まるからOK」みたいな安易な発言しちゃうとこや姿勢については、生物濃縮のリスクを十分確認できてないことや、漁業関係者の不安払拭という視点から問題があるのではと視察の際には指摘しました(ま、あまり反映されないでしょうけど)。
政府のいう「既定値の500分の1」というデータにそれほど嘘はないと思います。これを放出することにどの程度のリスクがあるかというのは、他のデータ等を踏まえた上で判断すべきこととかんがえています。一番重要な軸は「魚とか食べて大丈夫なん?」という話=内部被ばくのことかと思うのでつはその点について
内部被曝について
内部被ばくってなにかっていうと、要は呼吸とか食事とかで体内に取り込んでしまった放射性物質から被曝しちゃうことです。これについては150-300日程度で99%が体外に排出されることがわかっています。
そういう意味で、科学的には「一度に大量の放射性物質を取り込んで被ばくしない限りは、影響はないか、誤差の範囲」という意見が主流で、私もこの意見を支持しています。 知った上で「やっぱなんか怖いからやめとく」は良いと思います。
でもでもだって、実際奇形とか甲状腺がんとか実害あるって話きくやん・・・みたいな話が次
甲状腺がんとか実際のリスク
甲状腺がんについては、「絶対数で見るのは無意味」というスタンスです。福島についてはスクリーニング(かたっぱしから影響ないかしらべていく)検査をするため、診察に来た人だけ見る平時とは検出される数が絶対的に異なること、甲状腺がんは見つかったからと言ってすぐにやばい性質のものじゃない(この辺はくわしくない)経過観察をすべきものなので検出=死のリスクが高まったじゃないか!ということでもないので。
スクリーニング検査でみつかった数も韓国等でスクリーニング検査を行ったときと同程度しか出てない、ということなのでそれほど影響はないんやろな・・・とは思いつつ、「影響はゼロでした!」というのもそれはそれで違うかなとは思ってるのが現状。これについては経過を見守るべきかな、というのが私の見解
奇形ですが、帰還困難区域の調査で奇形の動物が普通よりおおくみつかった、みたいな研究報告もあるようです。ちょっとバカみたいな記事が増えたせいで見つかりませんが。。。人間の奇形等については優位な統計は得られてないと思われます(あったら教えて)
鼻血でた?皮膚とか粘膜に被ばくの影響出てたらすぐ死んどるわ。
そもそも"毒"ってなんぞや?
こうやって勘案していくと、総合的には「リスクとしてはあってもかなり小さめ」という意見で、実際に1.5倍とか3倍とかで有害性が示されてるタバコとかPM10とか2.5とか・・・のほうが個人的にはどうかんがえてもやばいやろ、という気持ち。
あと、東京の通勤とかストレスマッハすぎてやばいなとか。
何が言いたいかって言うと、いろんな体に悪い物質を取り込んだり、もっと摂取すべき物質を取り込んでなかったり、運動不足だったり、上司が糞すぎてストレスではげそうだったり、そういういろんな「体に及ぼす影響」があるわけで、気にかけるところはそういう中で「自分が一番幸せだって思える」選択しようなってことです。
その意味で、やたらに不安を煽って「ストレス要因をやみくもに増やす」ような情報発信についてはその時点で懐疑的ですし、正しい情報だとしてもこのようなやり口で広めようという手法にはまったく賛同できません。
まとめ
「僕は自分のやるべきと思ったことをする」が一番の選択なので、南相馬におりますゆえ。
でもそれは「楽しいよ!」と宣伝はするけど、強要すべきものでもないし、各自が判断したらええこと。
大事なのは「ちゃんと自分で判断すること」だと思いますんや。
【勉強会の記録】地域について「フリーペーパー/リトルプレス」という視点から議論してみたら、知見以上に同じ課題を考えられる機会や関係性を作ることが大事なのかも考え始めた
この記事の概要
- 勉強会の開催記録です
- まとめ的な性質が多いです
- 結論は雑です
なぜ僕たちが勉強会をやるのか?
「課題に立ち向かえる人材を育て、まちの課題を解決していく」をヴィジョンに活動する中で、 1) 地域や課題、まちづくりへの興味・関心のきっかけづくり 2) 課題に取り組むためのスキルやマインドの育成 3) まちづくりの関係者の増大と関係構築 の3つの柱をベースに活動しています。
オムスビで開催する勉強会・ワークショップは、グラデーションこそありますが、別の隣接する興味からまちづくりに興味を持ってもらう視点、勉強会の名の通りスキル・マインド育成の視点、 そして地域内外の人を「まちづくり」というキーワードのもとにつないでいくという機能をもたせようとしています。
今回の勉強会について
今回開催したのは、こういうものです。
内容については地域おこし協力隊の黒澤さんに中心に動いてもらい、こちらで会場等サポートする形で実施しました。 このテーマを選んだのは 「まちづくりに興味持ってもらうにあたって、いろんな情報発信はされてるんが全然届いてない感じがもどかしい。オムスビでもここになにか取り組みたい」 というところが始点にあります。「ローカルメディアやフリーペーパーを議論すること」を通じて、なにか得られる知見があればいいなと思っていました。
"フリーペーパー"から得られる視点
各自の持ち寄ったフリーペーパーを、最初は机いっぱいに広げて読み始めるところからスタート。 それぞれの雑誌がもつ面白さの視点を共有するところからはじめました。
難しいものを噛み砕ける
「フリースタイルな僧侶たち」はお坊さんのインタビューなどを通じ、普段あまり興味のない仏教というテーマについてカジュアルに読み進めることができます。 こういうふうに「普段難しいから興味ないわー」というものを「これならちょっと読んでみようと思える」カジュアルさに落とせる視点
トイレに入っていると読み込めるタイプ
「ほしい未来は、つくろう」と書かれたgreenz.jpが観光する誌面。こんなの地域あったらいいな、というのが所狭しと書かれています。
「こういうのってトイレに入ってると読んじゃえるよねー!」という話も。
細かいんだけど網羅性高くて順番にみていくようなものや、仏教の教えみたいなちょっと敷居高いんだけど一人で読んでるとすっとはいってくるものとか。 トイレ以外にもそういうチャンネルありそうだよね、という視点。
ちょっとだけ所有したくなる視点
「服をめぐる」のように、単純にヴィジュアルとして美しかったり、自分の趣味にドンピシャリだったりで、 「いや、たぶん飾るほどじゃないんだけど飾りたくなるかもしれないから持っていこう」みたいにとっちゃう雑誌もあるよね、という視点
"全く尊くない"ハードルの低さの視点
Himagineは、わら半紙にリソグラフ、綴じもずれている気がする。暇つぶしと割り切り、コンテンツのテーマも中身も著作権ギリギリ(アウト)なフリーペーパー。 もはやすべてが狙っているようにしか見えてこないが、人ってこういうゲスっぽいの、きらいじゃないよね。という視点。
興味の隣接の視点
(写真なし)
話よりもその人の持ち物とか本棚のほうが人となりがわかったりする。 好きなアーティストとかいて、その人の本棚とか乗ってたら買っちゃうよね。という話。 興味のあるところからそれを起点に別の興味を見つける、興味の隣接、という視点。
ヴィジュアルとキャッチコピーで入って、9割脱落する視点
「ヴィジュアルとキャッチコピーで、興味ないことに入ってこられちゃう瞬間あるよね」という議論も。一時期ヘルスグラフィックマガジンなどはネットでも話題になりました。
一方で、「そこで惹きつけられて、中の文字の見出し読んで9割脱落するよね」と思ったのが私。 見出しにももう少し力を入れる必要があるのかも。
いつのまにか地域の問題意識に展開する議論
キャッチコピーの流れから、商店街ポスターの話に。 「あの一枚にどれだけ生き様を表現できるか」をかなり真剣にやっているのが商店街ポスターだと電通の仕掛け人の方の講演にいった参加者。
南相馬でもああいうのできたらいいよねー、とみんなの思考が同じ方向に
南相馬で、商店街ポスターはつくれない
「でも南相馬では(十分なクオリティの)商店街ポスターはつくれない。クリエイターがいない」というのが現状の見解。
特に感覚的ではなくて、説明できる「ロジカルなアプローチができるデザイン思考のデザイナー」はほぼゼロではないかという話題に。。。 辺境地域において、デザイナーという職への理解や環境というのはまだまだ整っていないというのが実態です。
育てるとしたら?"デザイナーの人が来て、高校生と一緒につくる"
「こういうのって、センスが必要。正直にいってほとんどのものは仙台にいけば通用しない。センスを磨くためには良いものを見せたり、ジャッジできる人が必要」 という意見。
高校生とデザイナーの協業をしたり、育てるチャンスがあるのもこのまちの良さだという話で、こういう展開に持っていけたらいいよね、という話もできました。
「勉強会」を通じてみえた、"ひとつの課題に対して考える"機会の提供
今回の勉強会を通じて見えたのは、フリーペーパーに関する知見もそうなのですが、それ以上に「一つの課題に対して、似たような興味や意識を持った人たちが一緒に考える」機会づくりって、 地域の中でもしかしてすごく大事なのでは・・・?という考えが浮かんできました。
逆にいうと、一つの課題に対して考えてもらったり、チームをつくっていく、という手段として勉強会やワークショップをやる、という絵をかけそう。 なんかこのほうがワクワクする。というようなこと。
もうちょっとテストしながら、いろいろ考えてみたいと思います。
南相馬の関係人口を作りたかったけどどうしたらいいかわからなかったので元同僚たちに助けを求めた話
この記事の要約
- 南相馬市は、いろいろあって地域の課題にかかわってもらえる「関係人口」を求めています。
- 「お試しハウスと体験プログラム」という形で、事業を整えて市役所と民間で動き出しました。
- でも実際にはどうやって関わりをつないでいけば良いかが全然わからなかったので、ターゲットになるだろう元同僚の人たちに相談に乗ってもらうことにしました。
- 相談したらそれ自体が関係人口をつくりだすきっかけになったので、これは良い知見になりそうなので経緯まとめました。
震災から7年たった南相馬市の今
南相馬市では、震災後7年立つものの、人口減少による人材不足や高齢化に悩んでいます。 特に小高区を中心とする旧避難指示区域では住民帰還率が20%程度にとどまっており、課題が噴出しています。
南相馬市ではおおよそ20年先に来るだろうと思われていた人口動態であり、 小高区だけでみれば、先々の予想もしていなかった過疎化が一気に進んでしまった状況。
地域の人達の力だけではこの社会課題を乗り切ることは難しいことから、これまでも外部の復興支援などで多くの協力を頂いていましたが、 まだまだ地域の未来を見通せる状況にはないのが正直な感想です。
小高駅前から撮った写真。この駅前の一等地ですら、帰還率は40%程度なのだ。
一方的な支援から、Win-Winの関係にシフトしたい
一方で課題が個別化していき、命題が「即時的な復旧と支援」から「持続と事業化」に移り変わっていく中で、 徐々に支援という形での協力が難しくなってきています。
しかし、まちを持続化していくためにはこれからの取組みこそが重要であり、これもやはり地域の住民だけでは難しい状況にあります。 そういった状況に、新しい形でかかわりをもってもらう手段として「関係人口」に着目しています。
お試しハウスを中心とした、関係人口施策
これまでも移住促進という形で南相馬とのかかわりを作ってきましたが、どちらかというと雇用拡大等の目的が中心であり、 地域の社会課題に取り組むものではあありませんでした。 しかしながら、地域の社会課題に取り組むことはしばしば事業の段階になっておらず、その不安定な取り組みに関わりながら、移住・生活してくれとはいい辛いし、そこに飛び込める人は極めて少数です。
「移住しないで地域の課題に関わってもらう」ための方法として「関係人口」に着目しました。
僕らのはじめた「Odaka Micro Stand Bar」も、1年半でかなり地域の人に受け入れられるようになってきたがまだ採算ベースには乗り切っていない
関係人口とは?
総務省の定義を借りると
「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者。 地方圏は、人口減少・高齢化により地域づくりの担い手不足という課題に直面しているところ、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めており、「関係人口」と呼ばれる地域外の人材が地域づくりの担い手となることが期待できる。 としています。大小いろんな関わり方がありますが、何かしらの形で地域や地域の人々と多様に関わる人のことですね。月1できてくれてる人もそうだし、Skypeで相談に乗ってくれる人も関係人口といえます。
南相馬市では「地域の課題にかかわってくれる」関係人口を増大させたいと考えています。
お試しハウスと体験プログラム
そこで、市役所の方で2018年度よりはじめた施策の1つが「お試しハウス」と「体験プログラム」です。
お試しハウスとは、地域の課題に関わってもらう体験プログラムに参加してもらうことを条件に、最大1ヶ月まで無償で宿泊できる民家を提供しますよ、というものです。
外観はこんな感じ。いわゆる普通の民家ですが中はきれいです。
2017年2月ごろより整備がはじまり、モニター宿泊を経て5月より本年度の事業がスタートしています。 弊社「一般社団法人オムスビ」は、ふるさと回帰センターから管理運営部分の業務委託を受ける形でこの事業に関わることにしました。
かかわりを増やす方法がわからないので、相談にのってもらうことにした。
今回の事業をはじめていくにあたって、このような会話のやり取りをしました。
市役所「お試しハウスのハード面は整備できたので、そろそろ体験プログラムもやっていきましょう」
森山「やっていきましょう。それで、体験プログラムってたとえばどういうイメージですか?」
市「正直そこがまだ具体化していないんですよね」
森「そもそも体験プログラムあったところでいきなり来てもらえるイメージもないですしね。東京でイベントやるとか、なにかワンクッションが必要そう」
市「東京で移住イベントみたいなのやってもあまり人が来ないんだよね。前のイベントもほとんど人が来なくて・・・」
森「うーん、課題を解決にかかわるみたいなことがテーマなら、たぶん僕の前職の同僚の人たちが想定ターゲットになってくると思うんです。 どういうイベントなら参加しやすいかとか、そもそも南相馬にどういう関わり方をしてもらえそうかとか、お試しハウスの活用方法とか含めて相談してみる会をひらいてみたらどうでしょうか?まずはそれを最初のとっかかりにして」
市「それやってみましょう」
※決して軽いノリでOKが出たわけではなく、市役所の方々も宮城県の女川町の事例や山元町の事例をヒアリングする中で東京でなにかきっかけになる取り組みが必要だろうということを感じていましたため、こういう話がスムーズにすすみました。
7/6 南相馬とのかかわりを考える会@勉強カフェ池袋
予定をあわせ、7月6日に開催。南相馬から私ふくめて3名、東京の元同僚が3名、杉並区役所で働く職員1名と、職員南相馬市からの派遣職員の2名 の計9名に参加していただきました。
正直、書記に必死になってたのと若干あたまが興奮してたので細かい部分を覚えていないのですが、思い出しながら要点をまとめます。
南相馬市に関わる強い理由
一連の概要や課題感を説明したあとに、「そもそも南相馬市って特産品とか名物ないの?」という話がでてきました。
SWOT分析などをしながら、地域のあるものやチャンスを整理しつつ、話をすすめていく参加者
さすがに「自治体」ともなると、出そうと思えばいくらでも出せるのですが、それで出したからといってすぐ何かがわかるわけではない。。。
どうしようかと思っていたところ、参加者の高橋さんから「なにより南相馬市に関わる強い理由が必要ですよね。たとえば『田舎暮らしがしたい』なんてできるところなんてどこにもある。南相馬じゃないとできないことはなにかってことが大事じゃないか」という話が出ました。
続いて「そういう意味で、南相馬が非常に興味深いと思うのは地域の課題を先取りしている点。この地域で起きることは20年か30年後に日本中の地域で起きること。この地域の課題を解決することが、日本や世界の課題の解決に間違いなくつながっていく。そういう視点をアピールできればよいのではないか」というご意見
説明をしながらろくろを回す高橋さん。高橋さんは最近前職を退職し、今はフリーランスの人事系コンサルタントに。育休男子.jpという活動もしています。
僕も何度か市役所の方にはこういう話をしてきたつもりでしたが、 このような強いメッセージを自治体として発信していくことはなかなか勇気がいるものです。
この言葉を改めて外部の方からきいたことで、市役所の方々からも「そういう見せ方で良いんだ」というような腹落ち感が得られていたように思います。 言葉では言われたけど腹落ちしない、みたいなことってよくあるんですよね。
適切なメッセージを、しっかり発信できているか
見せ方の方向性が見えてきた中で、今度は具体の話に。
元同僚で今はベビーシッターのCtoCサービス「キッズライン」に務める小門さんから
「南相馬ってそういう発信ってやってるんですか?SEOとかちゃんとやるだけで全然違う気がする」
という意見。 ぶっちゃけ超弱いんですよね!「南相馬」で検索したら確かに色々でてくるけど、たぶん思い描いているターゲットは「南相馬」なんて検索しないわけです。
極端な話、「関係人口」とか「地域 かかわりたい」とかそういうキーワードで検索したときに一番上に出てくるくらいにしたいよねという話も。
今回、発信すべきメッセージの方向性はなんとなく見えてきたので、返ったらWEBサイトのメッセージのブラッシュアップとSEO頑張ろうという流れに。
パソコンに目をやる小門氏。話に飽きてネットサーフィンをしていたわけではなく、南相馬のWEBの発信状況について調べていた。できる女子。
また、その中で地域の課題を可視化するのも大事だよね、という話も出てきました。 イメージとして「モンハンのクエストボードみたいなもの」があって、それを地域の内外の人がみて参加したり、集まったり、報酬を受け取るような形も面白いのではというアイデアも。
地域の課題がしっかりインターネット上でわかるだけでもかなりコミュニケーションがとりやすくなりそうだという意見もでました。
まずは足元から
この話に至るまでの流れを作ってくれたのは、おそらくW社時代一番仕事外で付き合いの深かった竹井くん。
会の終盤にWEBの話で盛り上がっているところに、「WEBなどをやっていくのもいいが、まずはこの関係性をしっかりつくっていくことが大事なんじゃないか」と、 しっかり足元をつくっていくべきだと提案してくれました。
開始からほぼ議論の流れをつくってくれた竹井くん。実はスマートニュース社のエンジニアとして働いてるが、お子さんの教育環境を考えて地方への移住も考えてるとか。おいでませ南相馬!
また、「なによりこういう会に参加できること自体が、南相馬にかかわる第一歩。今回も、なにか地域に関われないかと思っていたところにたまたま友人(森山)が南相馬にいて声をかけてくれたから参加できたが、そうでなければ難しい。こういう会自体を定期的にやっても良いのでは?」とも。
そういってもらえるのめちゃくちゃありがてぇよ
正直、今回あまりにふわっとした議題すぎて、開催したもののぐだぐだになったらどうしようとか、ぐだぐだにはならなかったけど参加してくれた人にはあまりメリットがない会になってしまったらとか、すごい心配をしていたのです。
心配になりすぎてせめてモノで満足してもらおうと思って大量のお土産を買い込んだのは内緒
「かかわりたい」とか「今後も継続してほしい」というような意見をもらえたことが、一番の成果だったかもしれません。
冷静に考えたまとめ
自分が結構レアケースだったので忘れがちなのですが「知り合いが誰も関わってないようなところに、関わろうと思う人はあんまりいない」ですよね。そういう意味で関係人口を求めるために、僕の元々の知り合いに助けを求めたのは正解だったように思います。
自分がやっていることはすごく重要で、かつ面白いことでもあると思っているので、まずは見知った相手に共感・巻き込まれてもらえるように引き続きこのような発信やかかわりをもってもらう活動をしっかりしていきたいと思いました。
また、今回の話の流れであまり触れられてなかったのですが、市役所メンバーがすごく良い刺激を感じてくれていたように思います。地域の状況とかデータにずっと向き合っているが故に、外部の発想や考え方を取り入れる機会がすくなくなりがちなのが、公務員の常。「すごい頭を使ったー」といっていました。逆に同僚メンバーは「市役所の人たちが思ってたのと違ってすごく前向きで前のめりだ」ということにすごく好感をもってくれたようでした。
その結果なぞの団結感に包まれて池袋の繁華街のど真ん中で撮影。撮りましょうか?といってくださった通行人に「あえてこの自撮り感がいいんです」と意味不明な発言を繰り返す森山でした
半ば勢いで開催してみた会合ですが、みなさん「圧倒的当事者意識」をもって参加してくださってありがとうございました!
そして二次会へ。このあとも熱い議論が交わされました。皆さんまた付き合ってくださいね
廃炉は手段。手を取り合う関係にしたい。
話の内容
2018/03/18 AFW・三菱総研主催の、廃炉へのコミュニケーションを考える座談会に参加してきた内容と、その振り返りです。
2018/03/19追記 ※主催は経済産業省資源エネルギー庁で、開催がAFW・三菱総研さんとのことでした。
僕がこの話を書く目的
地域住民と東電サイドの人たちがちょっとでも手を取り合って復興に向かっていく関係をつくりたい。
そのために、どこが問題になっているのか整理しながら、具体的な方策についてくっそアイデアレベルですが提示してみたいと思います。
注意事項
便宜上、今回の座談会で廃炉の取り組みと説明を進める側にある「東電・NDF・経産省らへんの人たち」のことを「東電サイド」、 地域にいる人、いた人を地域住民と呼びます。
座談会の性質上、主催者以外の個人名や組織名は出せません。ゆえに「東電サイド」や「地域住民」とぼかしています。 また「東電サイド」というのはあくまでこの場で見えている方々の議論に基づいており、大本営の意向や意志とは異なる可能性があります。
前提:圧倒的埋まらない溝
地域住民の東電サイドに対する気持ち
- 「本当に議論する気があるのか」
- 「しゃべってる言語が違う」
- 「認識ずれすぎ」
- 「言っても変わらないので諦めている」
東電サイドの地域住民に対する気持ち
- 「マイナスのイメージの中、住民に話を聞いてもらえるのか」
- 「たくさんの時間とリソースを割いて説明しているが不安・不満が解消されていかない」
- 「どんなことを説明すれば不安を解消してもらえるのかわからない」
結論:お互い話すのがとても辛い
※冒頭にAFWの吉川さんから「なんとなくお互いに話すのが不安な気持ちがあるよね」といっていましたが、のちのちこういうことなのだとわかってきました。
逆にいうと、私は最初「え?そんな不安?別に国の人と話すとか大丈夫だけどなー」とかのほほんと構えていました。 こういうバックグラウンド合ってのことですよね。ごめんなさい。
なぜ「本当に議論する気あるのか」と言われてしまうのか?
おきている現象
Q.復興はどうやって進めていくんですか?
A.廃炉は安全安心してもらえるように進めていきます。
ちょっと単純化しすぎかもしれませんが、こういうやり取りになっている気がしました。 質問にまともに回答が返ってこない、というような状況が生まれてしまっている。
住民の目線から読み解く
地域の住民にとって関心があるのは、廃炉という「手段」というよりは、
「この地域でどうやって豊かに生活していくか」
や
「元通り(にできるだけ近い)暮らしが送れるか」
ということじゃないかと思っています。
それは単純に放射能のリスクに対する不安だけではなく、仕事への不安・家族がバラバラになってしまったことへの不満、 未来への見通しが立たないことへの不安感など、沢山の問題を抱えています。
そのために、廃炉だったり、復興拠点だったり、賠償金だったり、なんだったり・・・いろいろあるわけなのですが、 その全体を踏まえた上での「見解と方策」が聞きたいのに、東電サイドからは一向に「廃炉に向けて進めてます」「安全・安心してもらえるように進めていきます」みたいな回答がかえってきちゃう。
後輩がこんな的を得ない回答を返してくるだけで多少はいらっとするので、地域をこの状況にした原因の東電サイドからこんなふうに返ってきてしまった日には怒りがこみあげてしまうのは想像に難くありません。
東電サイドの気持ちから読み解く
※何度も言いますがここの「東電サイド」は「東電サイドの立場から関わっている、今回の座談会に来てくださった個人」を意味しています。
一方、東電・政府サイドの方は「起こしてしまった被害を少しでも0に近づけたい。そのために不安を取り除きたい」という気持ちを強くお持ちでした。
こんな強い気持ちを持った方がどうして「議論にならない」やり取りをしてしまうのか、話をすすめていく上で見えてきたことがあります。
紋切り型の回答の裏にあるもの
今回話をする中で東電サイドの方が話しはじめたときに「この度は多大なご迷惑・ご心配・ご不安をおかけし・・・」という言葉ではじまるくだりがありました。
地域住民の方は、この言葉を聞いたら地域住民の人は「あ、また来たなー」と思いませんか? あまりにもききすぎて「あー、また形式張った話がはじまるのか。うんざり」という気持ちになってしまうかも正直おられると思います。
今回、僕もそういった点がきになったので指摘したところ、「どうしてもそれが立場上の形式的なものに聞こえてしまう。マニュアルでは?」という議論がおこりました。
しかし、その人から出てきた言葉は「そんなマニュアルなんてありません。そのように言われてしまうのは正直にいってちょっとショックでした・・・」という言葉でした。
絶対に嘘は言っていないだろうリアクションで、本当に悲しそうな顔をさせてしまいました。 軽はずみで「マニュアル」なんて表現を使ってしまい、すみませんでした。
でも、なんでこんなに「1Fの廃炉がらみのことで話に来る人」は見事に同じような言葉になってしまうのだろう・・・? もっといろんな言い方や思いがあってもいいのでは?という疑問は、正直に伝える必要があったと思うのです。
東電サイドの人達で、前にでてくるような人たちは本当にすげー申し訳ないと思ってる。
今回の座談会、東電サイドの方も「休日返上」の「有志」で臨んできてくださっている方々でした。
少なくとも僕らの目の前にいる「東電サイド」の人たちは、今回の事態を 自分たちの問題でこんな被害を及ぼしてしまい、本当に申し訳ないし、だからこそそれをなんとかして取り除かねばならない、という使命感に燃えている方々です。
だからこそ、マイナスをつくってしまった責任を、なんとかそのマイナスをゼロに近づけることによって解消しないと・・・!みたいな強い気持ちになっている。
だからこそ「この度は多大な・・・」と「廃炉の取り組みを住民に理解し、不安を解消してもらえるように努力する」がセットになってしまったのだと理解しました。
この「マイナスをゼロに近づける」という使命感が、それ故の視野狭窄をもたらしているのでは?ということを感じました。 「何を差し置いても、生み出したマイナスをゼロに近づけることが最優先」という思いがゆえに、地域住民の本質的な願いと離れてしまう結果を招いていると感じたということでもあります。
「やり方はなんでもいいから元の水準に近づけたい」とか「どんな方法でも未来を地域を残していく道筋を立てたい」 (でも道筋が見えない不安や絶望感から東電サイドに辛くあたってしまう)地域住民と
責任感が強すぎるゆえに「放射能汚染によって生まれたマイナスをゼロにする」という手段で頭の中がめいっぱいになってしまっている東電サイドの人たち
という構図が見えてきました。
お互いに「復興のために重要だと思うことをやっている」けど、それがずれていた
要は、お互いに一生懸命考えたいと思っていたのに、なんとなく「お互い話きいてくれねーな」みたいな気持ちになってしまった部分があるのではと感じました。 復興について考えていることの違い、役割認識の違い、立場の違い。そういった違いをお互いに理解できないまま、溝を埋められないまま至ったのが今日の状況なのかも・・・と。
「また形だけのガス抜きか」みたいな思い込みも邪魔してしまってるのかも
繰り返しになりますが、逆に地域住民も東電の方が「この度は・・・」と話すたびに「またガス抜きか」という思い込みをもって接してしまっていたということに気付かされました。
逆に言うとそれだけ肩透かしを食らった側面も多かった・・・というのは事実だと思いますが、目の前で話している「個人」と接するときにも無意識に「東電サイドの人間」というレッテル貼りをしてしまっている可能性がないかは振り返る必要があると気づきました。自分も知らずしらずのうちにそういう判断をしてしまっていたことは大いに反省すべきです。
「手を握れる関係」をつくっていきたい気持ち
少なくとも今回「あ、コイツポーズで来てんな」みたいな人はおらず「ちょっとでも前に進めたい」という人たちばかりだったと思います。
そういう人たちと、不理解が理由で対立することは浪費でしかないはずなんですよね。 少ないリソースでがんばろうといっている地域なんだから、もうちょっと手をとり合って進めたら素敵なのにな、という思いがあります。
地域住民のことを東電も一緒にやる。東電がしたいことを住民も一緒にやる、みたいなしかけがあってもいいのでは?
「歩み寄ろう」みたいなことを言うのは簡単なのですが、それをどうやって仕組みに落としていくか、というのは考えねばならないことです。
大本営は置いといて、今回来てくれた人たちと、僕たちみたいな地域のプレイヤーで「お互いにやってみたいことを話す会」みたいなの、 やってみるのはどうかなぁと思いました。
僕も、なんだかんだいってついつい手弁当でやってしまうので常に金欠(笑)という問題があって、いろんな形での支援や協力が得られるなら お願いしたいなと言う気持ちがあるし、逆に、東電サイドで「こういうことを伝えたいんだけど」という話をしてもらえたら、地域住民にどうやったら うまくつたわっていくかみたいな話をできたり、むしろ僕らのコーヒー屋が情報屋としてチャンネルを担うことだって、可能性としてはあってもいいのではと思いました。※
そんな話が進んでいけば、地域住民が取り組んでいる復興のための活動に1メンバーとして関わってくださる東電サイドの方がいたり、 逆に東電サイドがすすめていきたい活動に地域の人達が密接に関わっていたりして、少しずつお互いの距離が縮まっていく・・・ みたいな世界線もあるんじゃないか。できることならそういうふうにしていきたいって思いませんか?
まとめ:AFW吉川さんのやってきたことの価値と複雑な感情
※AFWは福島原発の現状を伝えることや原発の関係者と地域住民をつないでいくことを通じて、 地域住民と東電が地域の次世代をつないでいく活動をやっている団体です。(と私は解釈しています) 今回、話を聞いていく中、震災後たくさんの「伝わらない」「わからない」「憎い」「辛い」・・・すごくたくさんの思い、いろんな感情があって、 そういう気持ちの中でお互いの関係が複雑になってしまった部分があるのかなと感じました。
吉川さんが震災後こうやって活動されてきたことは、複雑な関係を少しずつでもほぐし、前に進めてきたという点において価値があったのでは そして、それが進んできたからこそ、僕みたいなヨソモノがヅカヅカ踏み込んだ議論をしても、対立にならないような関係になってきているのでは と思います。
今回の座談会ですが、僕は良くも悪くも震災後よそから入ってきた人間なので、東電への恨みはない一方、 これは国難なので「みんなで一緒に考えたら良いんちゃうの?」みたいなサクッとした気持ちでいました。 逆に言うと、単純にそういうふうになれない、精神的溝も大きかったんだろうなぁということを、感じざるを得ませんでした。
「東電」「原発」というキーワードは未だデリケートで、簡単に「前を向く」とか「対立じゃなくて協働」みたいな事を言っても、できるものではない。
でも、少しずつでもいいから、その気持ちをほぐして、未来に向けていく努力を、今のわたしたちの世代が怠ってはならないのだ、と感じています。
ヨソモノである自分の役割
そのあたりの精神的わだかまりがない自分だからこそ、立場上互いに言いづらいことを言ってしまうことや、 「たぶんお互いこんな気持なんじゃないですか?」と代弁しつつ翻訳する、みたいなことができるのかなぁとも思っています。
(最後のほう、白熱して自分の言いたいことを言いたいだけ言ってしまいましたが・・・・)
ヨソモノだからこそ出来る「手を取り合う」関係づくりもあるのかな。引き続き考えたいと思います。
編集後記:「住民に十分伝わったか」みたいな砂漠に水をまくKPIは不幸にしかならない。
東電サイドの方の話をきいていると
「住民の方に十分に説明がいきとどき、理解が得られたこと」とか
「それによって不安が解消されたこと」を
この取り組みのKPIにされているように感じました。
自分に置き換えてみたらゾッとするんですけど、これ、めちゃくちゃしんどくないですか?
- 頭っから危険な前提で、何をいっても絶対に安心なんてし得ない人
- 地元をめちゃくちゃにされてしまったという負の感情が大きく、話が進められない人 は絶対にいますし、しかも声が大きくなりがち。こういう相手も含めて「理解してもらえた」という結論を得るのは困難、というか達成不可能なKPIです。
この状況に対して「なんとかして伝えていこう」という気持ちでこれまでやってきてくれたのだと思うと、圧倒的敬意を表せざるを得ない。 普通心折れるよこんなん。それでもやり続ける使命感というか責任感の強さというか。そういう面を地域住民ももっと評価しないといけないのかなと感じました。
「東電サイドの有志で頑張ってる人を褒めるだけの会」開きたい。
【起業して2年】期待に応えようとしすぎて自爆してはいけない
起業して2年がたった。
2016年は自分にとってとても厳しい年であったが、たくさんの学びが結果として得られたのだ、と思うために、自分を振り返ることにした。
結果として、「期待に応えようとしすぎて自爆する1年」だった、というのが現状の結論だ。
価値創造にコミットしすぎると爆発する
ビジネスの対価を得る=顧客に価値をもたらす の図式を頭にもっておくことは重要
「価値を出せていないからお金をもらってはいけない」の呪縛
ただ、2年目の僕はこの考え方にはまりすぎた。
「価値を出せていないからお金をもらってはいけない」の呪縛にとらわれてしまったのだ。
私は、次第にこんな考え方にとらわれすぎて、仕事を受けるようになってしまった。
- ホームページを運用したところでこの顧客にはあまりメリットが少ないのだから、運用費用をとったら悪いなぁ・・・
- このシステムを3年でペイさせるなら、このくらいの金額でやらないと・・・
- この分野はまだ得意じゃないから、ためしにやってみて結果がでたら次の仕事でお金を貰おう・・・
こうすると、どんどん工数あたりの単価が低い仕事を受けてしまうことになる。工数単価が低いと、 顧客にプラスαで何か提案したり、一工夫して期待値を上回る仕事をするのが難しくなる。 そうすると、事業を成り立たせるためにまた細かい仕事を受けて・・・とどんどん負のループに陥っていったのだった。
顧客が生み出す価値のことまで考え始めると、負の循環に陥る。みんな気をつけような
最終的に価値を出せるかは顧客の責任である
他責NGはすばらしいことだが、顧客の事業にまで他責NGの精神を持って行き過ぎると、危険になる。 なにより自分の事業の責任が疎かになる。
こんなことをいうとやや投げやりなのだが、 「その事業をやるかきめるのも」 「その金額で発注するのも」 「その事業がその金額でメリットを出せるか判断するのも」 全部「顧客」というのがまごうことなき真理なのだ。
だから、自分は要求された仕事に対して、予算目一杯の仕事をするか、出された仕事に対して、きちんとした対価を提示していただくか、 しないといけない。
冷静になってみれば当たり前のことなのだが、渦中にはまっていると、まるで冷静でない中、気づくのに時間がかかってしまった。
コミットしたいなら、きちんとしたビジネスモデルと対価を
とはいえやっぱり価値のでないと自分が考えてしまう、納得しきれないものを提供してお金をもらっているのは、とても気持ちが悪い。
だからこそ、そういったことをなくしきちんと価値創出までコミットするためには、 きちんとしたビジネスモデルが必要なのだ、と思う。そして、それをできるビジネスモデルは、それなりの対価が発生するモデルでもある。
便利なものを安くすると爆発する
私は、この街においては、割と有用性が高い。コンピュータやデザイン、企画ができて話がぱっとちゃちゃっといい感じにしておくのは、私の得意分野だと思っている。
当然、そういう人材はなかなかいないので、いろんなところから、期待され、いろいろなお願いをされるのだ。
- ちょっとパソコンの調子がわるいので、見てほしい
- ○○の事業について考えているんだけど、相談に乗ってほしい
- この資料をつくってみたのだけど、いまいちまとまらないのでアドバイスしてほしい
- ○○のセミナーでちょっと1時間ほどしゃべってほしい
- ○○の活動について、取材させてほしい
こういうのを、顔出したついでなんで~とかいってロハに近い値段でうけたりと、時間を使ってしまっていた。
先に待ち受けているのは、信用してくれている人の信用Ptの消費
こんなふうに、いろんなところにちょこちょこ顔をだしては、よろず屋よろしくで解決していくということを 続けていたら、当然ながら仕事が溢れた。
結果として、どうなるかというと、自分を信頼してくれる人から待たせることになる。 「ちゃんとやっているってわかっているから、待つよ」といってくれる人を待たせてしまうことになる。 どんどんクイックレスポンスができなくなり、信用ptをどんどん消費していく。
こんな沼にはまっては行けないのだ。
便利なものは高い
世の中、便利なものは高い。
すぐにとどくAmazonのお急ぎ便はプラスの料金かプライム会員にならねばならないし、 快適に処理ができるスペックの高いPCは高くなるし、早く移動できる新幹線は鈍行列車より高いのだ。
これから、沈まないため、沈んだ時に脱するための戦略づくり
私はこの1年くらい、この沼にハマっていることに薄々気づきながら、たぶんすごくもがいた。 じゃばじゃば動けば動くほどずぶずぶハマっていく沼に、焦ったりもがいたり落ち込んだり苦しんだりしながら、 なんとか沈まないようにやってきた。
結果的に、ここ数週間でなんとなく沼を抜け出せそうな兆候が見えたので 振り返りがてらまとめてみた。 これから、この状況をうまくだっして、経営者として一皮むけるために戦略を立てていくことにする。
もし、これをみて、「あー、そういえば森山こんなんだったな」ってなった方は今年はもう少し上手くやるので これからも応援してください。おねがいします。
無事抜け出せたら、処方箋編を書きたいと思う。
最低賃金の上昇で、低所得層の暮らし向きは豊かになるか
最低賃金を24円上昇させる方向で調整、というニュースが報道されました。
最低賃金が上昇することは、嬉しいことですが、同時に消費税の上昇や物価の上昇で、コンビニなんかにいくと、なんかえらく食品高くなったなーという印象でした。PCも高いし、まったく暮らし向きなんて楽にナッテネーンジャネーノ?
ということで、調べてみました。
から、中項目を適当に間引きました。そこに一定の恣意性が加味される可能性は織り込んでください。
データの見方
増税前の2013年7月と2016年7月の物価上昇率を並べてみました。赤線が今回のニュースが発表されるまでの最低賃金(764=>798円)の上昇率で、緑の線が今回上がった最低賃金(822円)を加味した上昇率です。 左のメモリは2013年7月を1とした基準なので、真ん中より上のものは物価が上昇していて、真ん中より下のものは物価が下がっています。
赤線を超えているモノが、最低賃金で働く人にとっては以前より手に入れづらくなっているもの、下回っているものが以前よりは楽に手に入るようになったものです。
これが、今回の発表によって、緑の線まで押し上げられます。
データから分かること
物価上昇率が高いのは家事雑貨・身の回り品(歯ブラシとかなのかな?)・食料ということでいかにも必需品といった具合。
その後に交通、たばこ、外食など、低所得の人ほど消費額のウェイトが多くなりそうなものが並んでいます。
光熱水費や家賃などは全体としては少し下がっているみたいです。ホントカヨー。
結論としては、現状、たぶん低所得者の暮らし向きは厳しくなってそう。
今回、時給に切り替えた02年度以降最大の上げ幅ということで、これがそのまま策定され、物価の上昇も緩やかに進んでくれれば、TOP3位以外の物価上昇は賃金上昇を下回ることになります。
必需品ほど高くなっている物価上昇をコントロールしてほしい
アベノミクスについて語るほどの舌をもっていないため、それについて語りませんが、 今回データを調べて分かったのは必需品と思われる食品・身の回り品の上昇率がかなり高くなっていることです(これは皆さん自身の感覚としてもそうだと思います。)
政府には低所得者の暮らし向きがあまり改善されていない現状をしっかり見つめ、何か対策を考えて欲しいなぁ、という小市民の意見でした。