右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

震災直後に立ち上がったリーダーってせいぜい5年生だからな

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別に自分の仕事ぶりに言い訳するつもりはないんだけど、ちょっと言いたいことがあったので言わせてほしい。

自分とか事業主になってようやっと1年のひよっこだから言うけど、震災直後に立ち上がったリーダーたちだって、たかだか5年生なんですよ。

まず経営のことなんてわからないことが多いし、経営がわかっても地域づくりなんて経営学フレームワークが全部使えるわけじゃないし、リーンキャンバスとかの使いやすいフレームワークですらあんまり役に立たない時が多かったりするんだよね。シンプルな経営してないから。   だから、失敗する。めちゃくちゃ失敗するし、繕ったそばからいろんなところでポロポロこぼれだすし。

ヴィジョンも共有したいし、KPIも5年後の組織像も考えたいけど、それを整理してくれるスパーリング相手もいないし、頭の中グッチャグチャなままやってるはずだと思うんだよ。

事務とかもどんどん後手後手になるし、何か決断せまられてもこの一歩踏み間違えたら即死みたいな環境での判断なんか、どうやっても時間かかるよ。

それに反して、メディアの人たちはどんどん食いついてくれる。面白いプロジェクトだって取り上げてくれる。 どんどん周りの期待が肥大化していって、でもやれることはいきなり増えない。

さらに、それを見て「一緒にやろう!」って言ってくださる方が増える分、時間は削られていくし。 結果、その分どんどん自分の出来ることと期待が乖離していく。この状況に耐えるのだってかなり辛い。 宣言したことが上手くできないことなんて数えたらいくらでもある。

私はここでうまく行かなかったら別の場所に逃げられるけど、地元で立ち上がった人たちってそうはいかないわけでしょ。今のやってることの成否がヘタしたら自分の一族郎党までの評価になるとか考えたら頭おかしくなりそう。でも地域のリーダーみたいな人たちは、人によってはそこまで背負ってやってるわけやん?

私はこの街に「役に立つ」つもりでここに来てるから、私がここにいて、穀潰しになって役に立たないのは批判されてしかるべきなんだけど、 必ずしも地域でリーダーやってる人たちが「役に立てる」なんて思ってやりはじめたわけじゃないとおもうんだよね。 大半の人たちが自分に出来ることがあるかなんてわかんないけど、それでも立ち上がらずにはいられなかった人たちが、今この場所に立ってるってこと。

そういう人をさ、なるべく「評価」するんじゃなくて、上手くできるように一緒になって考える立場でありたいなって思うんですよ。 いや、まず自分の生活考えなアカンのやけど。

うーん、何が言いたいのかわからなくなってきたけど、これからも和田さんの活動とか、フロンティアさんの活動とか、コンソーシアムさんのやりたいこととか、若松さんが鹿島で盛り上がっていきたいみたいな気持ちを応援したいってことです。これからも一緒に遊んでくださいね!ありがとうございます!

リーダーになるために 新装版

リーダーになるために 新装版

たいてい助けてもらえる。

私は、人にお願いするのが下手だ。 頼られることは好きでも、頼るのは大の苦手で、 それがこのある程度のことなら何でもかんでもやれてしまう能力の源泉でもあると思っている。

でも、最近は何でもかんでも一人でやるには、いくらなんでも手が回らないし、考えても答えが出なかったり、人手が必要なシーンが増えてきた。

困ったときに頼る人は、大抵の人は助けてくれる。 私の周りにいる人たちは本当に暖かくて、優しくて、心強い。

後輩に信用について講釈をたれた分際だが、私もまだまだ甘いのだ。 助けてくれる方々の信用に足り続ける人間であるよう、これからも励みたいと思う。

研ぎ澄まされた仕事は、安定の元にはない。

最近、研ぎ澄まされた仕事をしていない。 そんなことをふと思った。

いや、多分最大限の仕事をしているのだが、逆に言うと「最大限以上」の仕事をできていないのではないかと。

自分のできないことをしたり、自分の殻を破らなければ到達できないような、ヒリヒリした状況に自分の身を置けていないのではないか。

「小高の少数力」を発行したが、私をよく知る友人からは「つまらない」と一蹴されてしまった。

小さくまとめてしまったような気がする、という思いは自分のどこかにもあったのだ。だからそう言われた瞬間にすぐ何がいけないのか納得した。

出来ないことに挑戦し続けなければ、成長はないし、誰もやりたがらないことを楽しそうにやっていなければ、私じゃない。

そんな反省をした。

大阪人の「知らんけど」は、他人の考えを受け入れる意思表明です。知らんけど。

最近、大阪人です~って話をすると

f:id:Morilin:20160210093049p:plain 「大阪人って本当に『知らんけど』ってよく言うんですか?」

と聞かれます。

言われてみれば、そこそこみんな使ってる気もします。知らんけど。

オバカな会話から、真面目なトークまで登場します。知らんけど。

「知らんけど」は無責任で言っているわけではない。知らんけど。

みんな使っているというと「なんて大阪人は無責任なんだ!」って思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、大阪人が「○○と思うで。知らんけど。」

っていうときは、大抵前半の意見をちゃんと自分の主張として持っていることがおおいです。知らんけど。

なぜ「知らんけど」ってわざわざつけるかというと

「わたしの意見は○○ですが、あなたや他の意見は違うかもしれないし、それをわかっていますよ。意見を受け入れるかどうかはあなた自身が決めてよいですよ」

という意思表示のためで、実は無責任であるようにみえて、「責任のある発言だとわかっているからこそ、相手が受容するかしないかを選択する余地を残す」発言。

お互いぐいぐい来る大阪人なりの、コミュニケーション術なんだと思っています。知らんけど。

みなさんも、「知らんけど」が持つ寛容さを意識して活用すれば、コミュニケーションの達人になることまちがいなしですね。知らんけど。

「他人のせいに出来る」というストレスフルな環境

前の職場の森山のことをよく知る人には驚かれるかもしれないが、

最近は半分くらいの日は7時半には起きて活動している。 いや、それが普通なんですけど。

逆に言うと普通のことが出来てなかったのが前の職場の私の風景で、私はそれ自身にも相当なストレスをかかえていた。

最近は、そういう「普通」をかみしめている。

なんで出来るようになったんだっけ?って考え直してみると、責任転嫁する人いないもんなーって考えが浮かんだ。

責任転嫁すると、転嫁した人にイライラが募る。 イライラする人と一緒に仕事をすると、すごくストレスがたまる。

そういう意味では「誰かのせいにできる」という環境が、意外とストレスの原因になってる可能性もあるな、とかふと思った。知らんけど。

NECのPCをWindows10にアップグレードしたら音がでなくなった

結論:ドライバーを入れなおすと直りました。

お客様から「なんか最近PC音でないんだけど」と言われて見に行ったら結構根深い問題でして。

  • 音はミュートになっていない
  • ハードウェアにボタンなどもない
  • ドライバーは正常に動作していると表示している
  • Youtubeなどがエラーになる
  • Windows10にアップグレードしてから症状発生

この場合。

conexant smart audio hd というサウンド関連のドライバーが「正常に動作している」と表示される一方で 消失していることが原因でした。

http://www.driverscape.com/download/conexant-smartaudio-hd

こういうDriver Installerを入れて、一回診断してみると、 サウンドドライバーのところにファイル名でてくるので、それをググったらドライバー見つかりました。

きちんと「謝る」。成果で報いる。

先週から今週は、期待頂いている方の期待に答えられない時間が続いた。

絶対に、こういう時はある。

でも反省しないといけない点、いくつかあるので今後のためにまとめる。

1)暖かく見守ってくださっている方に甘えてしまっている。

仕事をお願いしていただいている中でも、特に自分のことを暖かく見守ってくださる事業者さんにご迷惑をお掛けすることなってしまった。 なんとなく「きっと許してくれるだろう」みたいな甘えがあったのかもしれない。深く反省している。

本当は、そういう方々の期待にこそきちんと応えて、しっかりと信用を構築していかないといけないのだけれど、こういうところのツメが甘い。

2)しかも、そのうちの1つは締め切り過ぎてたのを放置してしまった。

間に合わないとわかった時点ですぐに連絡すれば良い物を、タスク管理を失敗し過ぎた状態で放置してしまった。

コレはよくない。不安になるし、繰り返すと一気に信用なくすパターンだ。 結局電話頂いて、それで慌てて作業するという最悪のケース。

今回については、打ち合わせの予定やタスクが過去ないくらいに積み上がってしまったのに加え、 ある案件が思った以上に進捗がよくなく、結果としてポロポロこぼしてしまった。

今回の一件は依存先を増やして、いざというときに頼れる場所を増やしておくことの重要性をつきつけられた。 従業員だったり、外注先だったり、そういう「仲間」を増やさねばならぬのだと。

リカバリーについて

本来的にリカバリーできるもの、ではないが、まずは何よりも正直に謝らねばならないと思った。 まずご迷惑をお掛けしたこと、信用を裏切ったことについて。

それ以外に、自分の中で気まずいなと思った時には、 「成果で報いる」という意識を強く持つようにしている。

失敗した分、成果物は相手の期待値をしっかりと超えたものにする。その納品物で応えられなければ、 次の機会を「つくらせてもらう」ようにしないといけないんだということもここしばらくで学んだ。

次はまた、同じ失敗を繰り返さないよう、繰り返しても小さく済ませられるようにしなければ次はない。