右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

「他人のせいに出来る」というストレスフルな環境

前の職場の森山のことをよく知る人には驚かれるかもしれないが、

最近は半分くらいの日は7時半には起きて活動している。 いや、それが普通なんですけど。

逆に言うと普通のことが出来てなかったのが前の職場の私の風景で、私はそれ自身にも相当なストレスをかかえていた。

最近は、そういう「普通」をかみしめている。

なんで出来るようになったんだっけ?って考え直してみると、責任転嫁する人いないもんなーって考えが浮かんだ。

責任転嫁すると、転嫁した人にイライラが募る。 イライラする人と一緒に仕事をすると、すごくストレスがたまる。

そういう意味では「誰かのせいにできる」という環境が、意外とストレスの原因になってる可能性もあるな、とかふと思った。知らんけど。

NECのPCをWindows10にアップグレードしたら音がでなくなった

結論:ドライバーを入れなおすと直りました。

お客様から「なんか最近PC音でないんだけど」と言われて見に行ったら結構根深い問題でして。

  • 音はミュートになっていない
  • ハードウェアにボタンなどもない
  • ドライバーは正常に動作していると表示している
  • Youtubeなどがエラーになる
  • Windows10にアップグレードしてから症状発生

この場合。

conexant smart audio hd というサウンド関連のドライバーが「正常に動作している」と表示される一方で 消失していることが原因でした。

http://www.driverscape.com/download/conexant-smartaudio-hd

こういうDriver Installerを入れて、一回診断してみると、 サウンドドライバーのところにファイル名でてくるので、それをググったらドライバー見つかりました。

きちんと「謝る」。成果で報いる。

先週から今週は、期待頂いている方の期待に答えられない時間が続いた。

絶対に、こういう時はある。

でも反省しないといけない点、いくつかあるので今後のためにまとめる。

1)暖かく見守ってくださっている方に甘えてしまっている。

仕事をお願いしていただいている中でも、特に自分のことを暖かく見守ってくださる事業者さんにご迷惑をお掛けすることなってしまった。 なんとなく「きっと許してくれるだろう」みたいな甘えがあったのかもしれない。深く反省している。

本当は、そういう方々の期待にこそきちんと応えて、しっかりと信用を構築していかないといけないのだけれど、こういうところのツメが甘い。

2)しかも、そのうちの1つは締め切り過ぎてたのを放置してしまった。

間に合わないとわかった時点ですぐに連絡すれば良い物を、タスク管理を失敗し過ぎた状態で放置してしまった。

コレはよくない。不安になるし、繰り返すと一気に信用なくすパターンだ。 結局電話頂いて、それで慌てて作業するという最悪のケース。

今回については、打ち合わせの予定やタスクが過去ないくらいに積み上がってしまったのに加え、 ある案件が思った以上に進捗がよくなく、結果としてポロポロこぼしてしまった。

今回の一件は依存先を増やして、いざというときに頼れる場所を増やしておくことの重要性をつきつけられた。 従業員だったり、外注先だったり、そういう「仲間」を増やさねばならぬのだと。

リカバリーについて

本来的にリカバリーできるもの、ではないが、まずは何よりも正直に謝らねばならないと思った。 まずご迷惑をお掛けしたこと、信用を裏切ったことについて。

それ以外に、自分の中で気まずいなと思った時には、 「成果で報いる」という意識を強く持つようにしている。

失敗した分、成果物は相手の期待値をしっかりと超えたものにする。その納品物で応えられなければ、 次の機会を「つくらせてもらう」ようにしないといけないんだということもここしばらくで学んだ。

次はまた、同じ失敗を繰り返さないよう、繰り返しても小さく済ませられるようにしなければ次はない。

起業家の「社会起点」の意義、「自分を持つこと」の意義

今日はリクルートキャリアさんの企業研修の一部にかかわらせて頂く機会がありました。

その中でキーワードとして「社会起点」というフレーズが多用されていたのですが、 自分なりに消化しておこうと思ったので、 自分の一年半の事業生活を振り返りつつ、社会起点を持つことの意味ってなんぞやについてまとめてみます。

「社会起点」とは?

リクルートキャリアさんによると 社会起点とは、

できるだけ広く・深く・長い視点で「何のためにやるのか」という目的を描く と定義されています。

これは、これまでのリクルートグループが

顧客志向、顧客接点と、「顧客」を起点とする ことを重視してきたことに対応する考え方となります。

ざっくりいうと単純に目の前の顧客のニーズを充足することばかりではなく、 社会の問題を解決するという視点を持ちましょうということだと解釈できます。

これはどちらかの問題というより、どちらも必要という視点で捉えられています。

個人的にはすごくしっくりくるフレーズなのですが、自分の中で落とし込めていない方もいるというか 実際に経験した立場ではないと気づきにくいこともある気がするので、私なりの考え方を書いてみます。

起業家が「社会起点」を持つ理由

社会起点は、共通認識を生み出し、人を巻き込む

起業するにあたっては、仲間が重要です。能力のある仲間たちとチームを組み、ビジネスを成立させていく必要があります。 社会起点を持つことで、問題意識を共有できる仲間を巻き込むことができます。

社会起点は、黎明期における混沌をまとめあげる

起業すると、たぶん99%最初のうちは全然思った通りに出来ません。 最初のビジネスプランが前提から誤りがあったことに気づき、仮説は覆され、ビジネスプランは崩壊します。 当面の運転資金を稼ぎだすために自分の実現したいことには無意味と思われるような不本意な仕事をしなければいけないシーンもあります。

社会起点を持つことによって、こうした環境に適応しやすくなります。

ビジネスモデルがピボットしたとしても起点となる社会問題がぶれていなければチームは瓦解しにくくなります。 逆に言うと、手法への面白みで集まったチームはこうした変化に弱く、すぐに瓦解してしまいます。

過去にかかわったビジネスでは、社会ヴィジョンに共感せずシステム的な面白さにのみ食いついて参画してしまったのですが ビジネスモデルのピボットを繰り返す中でチームがばらばらになっていき、自分もコミットしきれず失敗するという経験をしました。

不本意と思われた仕事も、自分たちのビジネスモデルをブラッシュアップしたりピボットしていくときのヒントになります。 「解決したい問題」を頭にいれておくことで、ありとあらゆる情報が問題解決のヒントやアイデアになりえます。 たとえば、私は当初は直接的な人材育成事業をビジネスにすることばかり考えていましたが、 当面の生活のために生業として地域の事業者の方々とたくさん情報交換させていただいた結果、 彼らを地域のリーダーにすることも次世代の人材育成に繋がったり、逆に地域の事業者さんに還元性のある人材育成のあり方を考えなおすきっかけにもなりました。 「人が育つ社会をつくるんだ」という意識を持っているからこそ、生活のために始めた事業を「どうやったら自分の夢に近づくためのプロセスに出来るか」という発想に結び付けられるような気がしています。このあたり言語化難しいです。

社会起点は、ビジネスの継続性を考える視点の1つである

ある程度の成長をしていったときに、ビジネスとしての成長の壁にぶち当たります。

今回のリクルートさんはマッチングビジネスを強みにしていますが、このマッチングビジネスはある程度成熟してインフラ化していくと、 同時にマッチングプラットフォームとしての付加価値が蔑ろにされ、 ただの「人材を右から左に流すだけのビジネス(≒ホリエモンが奴隷産業と揶揄したもの)」になってしまうという問題もはらんでいます。

これはマッチングビジネスにかぎらずすべてのビジネスにいえることです。 一定の成果をあげたときに人は安定をもとめ、付加価値の提供を怠ります。

そういった意味で、社会起点をもっていることは、現状に満足せずに次の改善へつなげていくモチベーションに繋がります。 10年後、20年後の社会を常にイメージしていくことで、自分たちのビジネスを邪悪なものにしないように出来ます。

起業家には「社会起点」と「自分起点」を両方持ち、強く接合させることが必要

とはいえ、一方で、社会起点にばかり目がいっている人も、スタートアップ、特に社会起業界隈ではよく見かけるように思います。 社会起点と同じかそれ以上に、自分起点も大事だと私は考えています。

社会起点だけだと、他人事になる

社会起点のみの場合、自覚の有無は別として大抵は「社会を自分の思い通りにしたい」とか「社会に貢献している自分が評価されたい」という考え方が裏に潜んでいます。 「自分の思い通りにことを動かせる」とか「自分が評価される」ことのみがモチベーションなので、いざビジネスをはじめてうまくいかないことや、あまりに泥臭いことばかりで評価もついてこなかった場合に、モチベーションのよりどころが失われ、やめてしまいます。

だからこそ、自分起点をもって「自分が実現したいことだからやる」とか、 「これをやっている自分自身を誇りに思えるからやる」とかそういう視点が必要だと思います。

自分起点が欠如した社会起点は、品質の低いサービスに繋がる

社会起点しか持たない人は、うまくいかないことや批判する人たちが出てきた時に「自分は社会のためにやっているのに、あいつらは邪魔をしてくる。あいつらのせいでうまくいかないんだ」という思考に陥りがちです。

実際は多くの場合は単純にサービスレベルが低いことに起因するのですが、「自分は自分のためではなく、社会のためにやっているんだ」という意識のみが強すぎるために、こうした思考に陥り、自己を改善するという考え方に至ることが難しくなってしまいます。

参考:社会をよりよくしようってなった場合は今ある社会を塗り替えていく仕事になってきて、1000%とか2000%のレベルのスピード感を持たなければいけない。

だからこそ、ある意味「自分は自分のエゴのためにこの問題を解決しようとしている」という割り切りと謙虚さが求められます。 その考えに至ってはじめて、周りの批判や意見に耳を傾けられます。

社会起点のみで考えられたビジネスは大抵おもしろみがない

これが最大の問題なのですが、社会起点のみで語られるビジネスには大抵面白みがありません。

おそらく、具体的に自分がどんなことをしたりどんなスキルを使って仕事をするかというイメージをもてない人は 自分が対象とするビジネスの受益者がどんな人でどんなことに困っているのかについての想像力も欠如している場合が多いです。

「社会問題に、自分が出来ることはなにか」という視点を持つことによって、はじめて「自分が出来ることの範囲で受益してもらえる人はどんな人か」というイメージが膨らんでくるのではないでしょうか。

まずは自分のことを掘り下げてみてほしいです。

個人的な思いとしては、スタートアップに関わりたいと思っている方は10年後自分がどうなっていたいのかや、自分に今何ができるのか、自分の発展性はどんなところにありそうなのか具体的にイメージしてみると良いのではという気がしています。

すごく俗っぽくていいと思うんですよね。

僕はカッコよくてチャーミングでいろんなことを楽しんでいて、優しい父親になりたいと思っています。 カッコつけるのが好きだし、いろんなことに夢中になっていたいし、後輩や子どもたちに憧れられる存在でありたいなと思います。

だからこそ、今のビジネスはカッコつけることも1つの意味のあることになっているし、いろんなワクワクすることを取り込む余地を残しているし、 それを通して若い人たちの成長に貢献しようという考え方につながっています。

個人的には、

イデアというのは複数の問題を一気に解決するものである というフレーズがすごく気に入っていて、だからこそそのアイデアがワクワクするのかなとも思います。

https://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

なんにせよ、一緒にワクワクするフィールドを作っていきたいですね。これからも頑張ります。

本気の地域ビジネスこそ、グローバルな視座なんじゃないか仮説

f:id:Morilin:20151119203646j:plain 地域にグローバルな視点を、みたいなエントリーみて自分も思うことを書いてみようと。

自分は、表題のようなということを頭の中で考えてます。

【俺達って身近な「問題を解決すること」をおろそかにしすぎてたんじゃねーの?】

最近、グローバルには自動運転しかり、テスラのバッテリーしかり、人工知能による知識労働の置き換えしかりで、 「社会の根っこにあった問題を一気に解消しちゃうこもしれない!すげー!」感あります。

逆に、自分たちの目の前に溢れている大量の製品は 「ニーズを満たす」とか「ニーズを作り出す」 という旗印の元、「ある種小手先のようなマーケティングによって作られた製品」ばかりが生み出されるようになり、あまり問題を解決してないのではないでしょうか?

その結果として日本は世界市場からおいていかれるようになった、と考えられなくはないでしょうか?

だから、言いたい。 「ビジネスって身近な問題を解決することから始まるし、それが世界中の人に適用できることだったらグローバルってことだと思うぜ!」

そう思うと、「人」の一番近くにある「地域」の問題を解決することは、「ビジネスって問題を解決することだったなぁ」と気づかせる最高のフィールドだと思います。そしてその問題解決の能力と規模感をどんどん広げていくことが、グローバルじゃないかと。

スライムを倒さなければバラモスが倒せないように、目の前のおばあちゃんの問題を解決できない輩がグローバルで戦えるわけないじゃん、って思いません?

T村K太郎氏とかが「やれグローバルだ、日本にはもうグローバル市場はない」みたいなこと言ってますけど、 自分は「あるかどうかマーケティングして、売れるものをつくる」よりも「ないならグローバルにしていく取り組み」をするほうがカッコイイし、「その能力がないならレベルを上げて物理で殴ればいい」状態にする」ほうがなにより楽しい、と思う。だってそれって、僕達がのめり込んでやっていたゲームのそれと一緒でしょ?レベルを上げて、強敵に挑む。レベルを上げるには弱い身近な敵からを倒していく。

それをおろそかにしては、グローバルで戦えない。

さて、みんな。冒険の旅に出ようぜ!(錯乱)

WindowsでAndroid開発をするときに、実機のドライバーが認識されないときの対処法。

f:id:Morilin:20151028165754j:plain Windows10, Windows8, Windows8.1でも共通かな?

またWindowsへの呪いをため込んだ回です。

Androidの端末を接続して実機確認をしようとしたときに、 Android Studio上(というかWindowsで)で認識されない問題が発生しました。

解決することができたので、その方法をまとめています。

現象について

f:id:Morilin:20151028162952p:plain ここに表示されない。

何が起きていたのか

ドライバーがインストールされないため、認識できなかった。

これと同じ問題になっていそうか確認する方法は?

デバイスマネージャーをみて、認識させたいデバイスに警告がでてたらたぶん同じ問題。

確認方法はこちらのページをご確認ください。 AndroidがPC(Windows)から認識しない場合に最新版のUSBドライバをインストールする。 | yoshikawa.64kb

解決方法

途中まではこちらのページが参考になりました。

note.chiebukuro.yahoo.co.jp

ただ、このページのままやると、ドライバーの署名が改ざんされている可能性があるだのなんだの言われる気がします。

そういわれて正しくインストールされなかった方は、以降の資料も確認してください。

署名のないドライバーもインストールできるようにWindowsの設定を変更する

ようは署名があろうがなかろうがインストールできるようにWindowsの設定を変更してあげればOK.

ただ、このあたりでWindowsへの呪いをため込んで十分にソウルジェムが濁ることが想定されますので、 以下のようなサイトを参考に、心をいやしてください。

uchu.boy.jp

さて、気を取り直したところで

Windows8/8.1の場合

こちらのサイトのまんまです。 Windows8/8.1で署名なしドライバをインストールする方法/テストモードにする方法

Windows10の場合

Windows10の場合は、最初のほうがWindows8とちょっと変わっています。

スタートメニューから「設定」=>「更新とセキュリティ」=>「回復」を選択 f:id:Morilin:20151028165259p:plain

「今すぐ再起動する」を選択してください。

その後出てきた画面からは、Windows8.1と同じですので、こちらのサイトを参考にしてみてください

Windows8/8.1で署名なしドライバをインストールする方法/テストモードにする方法

改めてインストール

改めてドライバーのインストールを行えば、認識されるようになります。お疲れさまでした。

森山ってなにしてんの?という質問に対しての回答

というか、自分用に整理に近いかもです。

記事の目的としては

  • 身近な人ですら「なにやってるのかよくわかんない」ッて言われることが多いので、説明用に整理
  • 体1つで働くことへの感想を求められることが多くなった 地域で働きたいとおもっている人たちへ何か参考になるかもと思ったので整理 なにより本日のグダグダに対する反省として、自分の状況を整理しなおすこと

以上を踏まえた内容になっています。

なんのために此処にいるのか?何をしたいのか

これからの社会を担う、「問題解決型人間が生まれる地域」を産み出す取り組みをしてきたいと考えています。 そのためには、以下の様なことが必要だと最近は考えています。

教育
  • 主に若者に向けた比較的狭い意味での教育(トレーニング)活動
文化・交流
  • 「この場所で楽しめる・楽しみを作り出せる(否定されない)」価値観や空気感を作り出す
  • そのために、多様な人と交流できる状況を生み出したり、発信していくこと
課題解決フィールドの整備
  • コミュニティの形成や維持拡大
  • 地域活動の組織化
  • 課題の見える化

なぜそれをしようと思ったのか

  • 課題解決能力はトレーニングできる能力
  • にも関わらず日本ではあまり具体化されておらず、ごく一部の人が享受しているのみ
  • 社会人になった時には埋められないくらいの差になっており、可能性のある人材を損失している
  • 結果として日本社会全体の課題解決への推進力が低下していて、なんとなく閉塞感につながっている ような気がしているので。

現在の働き方、形態、主な収益源など

  • 個人事業主という働き方
  • 俗にいう「ノマドワーカー」に限りなく近い生活をしている
  • コワーキングスペースを利用したり、  地域のNPOさんのご厚意で事務所を間借りさせてもらったりしています。
  • 幸いなことに自ら「営業活動」みたいなことはそんなにしていなくて、  興味のある活動に参加したところから広がったり、ご紹介いただいたりして  仕事につながっている。
  • とはいっても「儲かって仕方がありまへんなゲヘヘ」という感じでは決してない
  • より考えこむ時間、試される時間が多くなったので、  基本的には自分がイメージする稼働率に届かない。  それを踏まえてお仕事を発注いただくように極力気をつけています。  (あとで語りますがオーバーフローしてしまうことがちょいちょい起きています)

いま具体的にはどんなことをしているか

1.商業高校と連携したプログラミング講座の実施 2.小高区における(特に若者の)帰還を促す(挑戦したり、楽しめる環境でもあることを発信する)  フリーペーパーの刊行 3.民家を利用した体験移住できるシェアハウスの計画 4.商業用「デザイン」から街に変化を産み出す試み※ 5.生業としての、HP製作やシステム開発や導入、企画の仕事 6.その他、諸々のお手伝い

4,5が収入的には中心となっている

食えているのか、これからの見通しなど

1.2=> これらを組織化していけるようなスペースの確保をしていきたい。    中心的な参考事例になるのはやっぱりイトナブ石巻さんだけれど、    そこにカマコンバレー的な地域の組織化機能みたいなのが合わさっているイメージが良いなと思っている。    全部自分でやることにこだわりはないので、小高ワーカーズベースさんや地元の商工会などと    上手く連携していきたいなとか思ったり。このあたりはまだフワッとしています。

3=> ちょっと宙ぶらりん

4=> もう少しクロージングや収益化の仕方をキッチリやっていかないとジリ貧になりそうな不安がある。   中途半端なコミットメントになりがちかも、と考えている。ここが一番最近不安。   単発の仕事よりも継続的なお付き合いができるようなしくみや、自分としての能力開発が必要という認識

5=> お金になるならないは置いといて地域に必要だとおもったことならやる、というスタンスは続けていきたい。

実際どうなの?みたいな曖昧な質問に答えるとしたら

正直にいうなら、この働き方をして楽になったところとめっちゃ辛くなったところがあります。

楽しい、楽なのは・・・
  • 自分がやりたい、と思ったことへ進んでいる感覚
  • 全部自分の責任でやれること(休むのも働くのも自分次第)
  • ちょっとしたことで喜んでもらえたり、目をかけてもらえるお客様との距離の近さ
きついのは・・・
  • 自分のことは自分で決めないといけないので、  慣れていない分野(僕の場合はキャッシュマネジメント、リスクと投資計算)でむちゃくちゃ不安になること
  • それが本来自分が出来てたはずのこと(クイックレスポンスやコミットメント)に影響を及ぼしていって、  自信&信用喪失していくこと
  • 進んでいない=自分の力不足をダイレクトに知らしめられるので、苦しいこと。

イケハヤさんみたいに東京人を煽ることもしないというか、むしろ東京より消耗はしている感じですね。 東京ではバリアー床歩きながらホイミかけてた感じだけど こっちではベホマかけながら痛恨の一撃受け続けているかんじです。 感情の起伏が激しくなったという意味では、健全化しているかもしれません!笑

こういった問題を抱えていることを自覚しているので、将来のことで不安になることもあります。 ちょっとしたことで信用を失ったりしてしまうこともよくわかっているので、 こうして時々信用を失うことをしてしまったという自覚をしたときに、ひどく落ち込んで不安になります。 こんな調子でやってたら、2年後3年後大丈夫なんですかねぇ、という不安です。

1年やった感想や成長したこと

とにかく「人を巻き込む」というテーマについて考えさせられました。

なんとなく、自分はマネジメントの本を読んで「自分と相手の利害や価値観を一致させること」が大事だと思っていました。 いや、それはもちろん凄く大事なことに変わりはないのですが、それらがほとんど一致していたとしても、 それすなわち一緒にうまくやれるわけではない、ということを強く感じています。

それよりも、それ以前の問題として 「自分がコントロールできる人や環境を大きくしていくこと」が重要と感じました。

コントロールできる、というとなんだか表現が悪いですが、 ようは

  • 「多少意見が違うけど森山のいうことだし間違いないだろうから協力してやろう」と思ってもらえるようにすることとか
  • きちんとお金を払ってやってもらえるようにすること(⇔一緒にゼロからお金を稼ぎましょう!みたいなのは微妙)
  • 自分がテイクできるリスクの範囲を増やすこと
  • 即座に処理可能なことを増やしていくこと  (事務処理とかどんなのが必要なんだ?とか、あの場所ってどうやって借りるの?とか   あの人に話をするためにはどういうルートでやればいいの?そういうことで手間取ってグダった印象強い)

が重要だと感じた、ということです。

たぶん、自分の問題発見能力や、それを解決するための専門的な能力は、十分重宝してもらえるレベルなんだという感触を得ています。

一方で、ちょっとオーバーフロー気味な時にポロポロ取りこぼして、 そういう小さな積み重ねで信用を失ってしまうケースも多々あるなと感じています。 ちょっと人間関係に過敏すぎるのも、 良い部分(最初の印象はそれなりに思ってもらえることが多い)と 過剰に落ち込みすぎてしまう(すると調子悪いときに印象を悪くしてしまう)悪い部分があります。

こうした部分を上手くやりくりできるように苦しみもがいて、少しは出来るようになったのかな・・・とは思いたいですが、 それを実感できるまでには成長してない、というのが正直な感想ですね。

まとめ

最近の心境をまとめてみるとこんな感じだった。 なんか、何でも1つ欲しいものが叶うなら 「自分と一緒に不安や悩みを共有してくれて、解決にコミットしてくれる人」がほしいなぁって思います。 フロンティア南相馬の皆さんや、小高ワーカーズベースの皆さんには非常にお世話になっていて、 問題意識を共有したりということはできていますが、どこまで言っても違うことをしている方たちで、 寂しくなることがあります。 彼女や友人、及川さんや川口さん、前職の同僚やスタートアップ界隈の気にかけてくださっている方々と 上手くそのあたりを共有したいなという想いもありますが、

自分のこういった感情や状況をリアルタイムに共有する、 というのがどうしても上手くできなくてこんな処で整理しないとうまく説明できない。 こういうところ、ダメなんですよね。。。

なんとなく、銀河英雄伝説がにわかに話題になっていますから、僕の好きなヤン提督の、この言葉で締めようと思います。

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他人がこんなことをしたら、バカに違いないと思うだろう。だけど、私は結局こんな生き方しかできないんだ ヤン・ウェンリー

僕にとって大事な人に言われました。 「ジーニアスだけどスマートじゃないよね」と。なんだか凄くしっくり来たんです。 なんとなく、ヤン提督の生き様もそうだなってふと思い返した、 それでも頑張らないとなってのでちょっとセリフを拾ってみました。

これからも、頑張りますね。

ここまで見てくださった皆様、 気にかけてくださってありがとうございます。何卒これからもよろしくお願い致します。