右脳系エンジニアのブログ

エンジニアとしての生き方のプロトタイピング、新しい社会のプロトタイプづくりをしています。

HTML上の年月入力にはbootstrap-datepickerが早くて便利

HTML上で年月日じゃなくて年月だけを入力したいときってありますよね。

そういうときに意外とググってもあまり情報がでなかったんですが、 bootstrap-datepickerを使うことで簡単に実装することが出来ます。

実装キャプチャはこんな感じ。 f:id:Morilin:20150224162059p:plain

<input type="text" id="YearMonth" />
  $('#YearMonth').datepicker({
      format: 'yyyy年mm月',
      language: 'ja',       // カレンダー日本語化のため
      minViewMode : 1
  });

eternicode/bootstrap-datepicker · GitHub

なんとなく仕事のパフォーマンスが悪い時に確認しておくこと一覧

カラダのこわばり

自分はまずこれ。気付かないうちに腰や肩が相当こわばっていることが多い。

そういうときはストレッチとヨガをする。

運動不足

運動不足で根本的な体力が失われているケース。

そういうときは走る。

ストレス

対人関係で上手くいかないこととか、ちょっとしたことの積み重ねでストレスを感じている時。

こういう時は、一般的なリフレッシュ策では足りないことが多いので、お風呂で一人で泣く。

クリエイティブとルーチンのバランス

クリエイティブな作業とルーチンのバランスを見直す。自分の場合はルーチンが疎かになりやすい。

問題解決の難易度調整

難しい問題にぶちあたっているときに上手く難易度調整をする。 具体的には他の人に助けてもらったり、ぶっちゃけベースでお客様と相談したりとかそういうことになると思う。

「被災地支援」が本当に支援になってるかは常に意識しておいたほうがいいよ

f:id:Morilin:20141011132238j:plain

この3ヶ月南相馬市に移り住んで仕事をさせていただく中で、 被災地支援、被災地支援って聞くけど全然支援してねーじゃねーかって思うことがちょいちょいあった。 善意、悪意とわず、被災地支援という名目が実態を伴ってないことがあるよということで、周りの人に知ってもらいたいなと思って書き留めておく。

ちなみに私、現地の人じゃないからもー好き勝手書くよ。

※ここ1ヶ月くらいでこういう案件を落ち着かせる仕事ばっかりで、割と私の心と腰が折れそうだった。 絶対に今ようやく起こった火を絶やしてはいけないという思いで、なんとか処理中。。。

先に概ね結論

これを見てから、自分のやっていることを考えたほうがいいです。

まず第一にただの自己満足な支援

大学生とかで陥りがちなのが、現地の誰も求めてない系支援。 いや、実際にはあったらいいなではあるんだけど、別にそんなの今必要じゃないし。

わかりやすいハイエナ

このへんはまだカワイイ。わかりやすーく被災地に集まるお金をかすめとっていこうっていう輩。 心配しなくても二度とお付き合いしないタイプ。

事業の継続とか度外視な支援

たとえば、1000円は払いたくないけど、無料なら参加しようかな、とかなるような内容がこういうのだと思う。

自分がやりたいようにやって、最初のうちはボランティアでいいんだけど、じゃあこれがいつまでやれるのってなると、お金がなくなったらはい終わり。

気づいたら、被災地には何も残っていないタイプ。

支援という名のハゲタカ

現地の方が草の根で立ち上げたよーというのを、自分たちがもっと高度にしてあげるよー、もっと大きくしてあげるよーというタイプ。

俗にいう「中間支援団体」とか結構な規模のある株式会社に多い。

自分たちの専門性(というのもハッキリいって怪しいことも多いけど)を振りかざして、現地の方が一生懸命やってやっと芽が生えてきた処を食い散らかしていき、現地の人のモチベーションを下げ、心を折る割と悪質な支援。

プロボノ支援で案件が停滞

善意が起こす中では両者がすり減って行くという意味で誰も幸せにならない度が一番高い。

こちらにいると本当に復興のために自分の技能を活かして支援したいという方も多いなと感じることも多くて、そういう方の中では、プロボノ支援として無償で人的リソースを提供してくださる方もいらっしゃる。

こういった支援のあり方は、支援してもらう側は高い技能をもった方の人的資源を活用することができ、する側は自分の技能を活かして支援に役立たせることができる、という意味で凄くWin-Winじゃないかという風にみえるが、結構危険。

こいつの問題は支援する側は「無料で出来る範囲のことしかしない」ということ。 これは単純に時間量に制限があるということではなく、「自分の仕事が空いている時にしか出来ない」ということでもあるわけで。

そうすると何が起きるか。被災地の事業の締め切りと、自分の生活のための仕事の締め切りとがあった場合、後者が優先されるということ。つまりは後者が優先されている間、被災地の事業は完全にストップしてしまうということ。高度な技能であるが故に被災地の中では代替がきかず、コンティンジェンシープランさえ用意できないという場合が多い。

イベント系とかだと、ぎりぎりまでプロボノさんが動かなくて死亡するパターンが過去に結構あったんじゃないかと想像するに容易い。

ケツをもたない支援 = 被災地で頑張っている人たちの信用さえ失わせかねない

やれ手伝いました。あとは自分たちでがんばってね型支援。

たとえばどこどこからウン万円の案件をとってきました。とってきたからあとは頑張ってね。とかそいういうの。

現場には人的リソースが足りてません。実務能力が高い人が根本的に足りません。

そういう中、自走させるメドも立たずに、とってきたからほらやりなさい、というのは最悪です。 結局プロジェクトが崩壊したときに、信用を失うのは「被災地で頑張っている人たち」です。

仕事をとってきた人は、実はほとんど実害を被らないことがほとんどなんじゃないのかな。

自分たちが支援します。じゃなくて支援してくれる人探してとってきたからがんばってね、っていうところでたちが悪い。たぶん私が一番嫌いなタイプ。

陥らないために

被災地に何が足りてないかをもっと自分の目で見極めよう。

見極められないうちは、現地の人がこれやって!というのをそのままやりましょう。

だから本質的には「人を助けたい? なら 黙って話を聞け!」です。

支援なんてそんな簡単なもんじゃねぇって、私は思うよ。

頼む、頼まれるをキッチリしなければ信頼関係は築けない

最近、個人として仕事をしていて強く思うことの一つが、 「頼む、頼まれるをキッチリしなければ信頼関係は築けない」ということです。

「頼む」をキッチリしていくということ。

自分が困った時、助けてほしい時に「頼む」ということをきっちりしていくこと。

そんなの当たり前じゃないか、と言われるかもしれませんが、これが意外と出来ていないものです。

自分の状況のみを伝えて、相手から「手伝いますよ」といってくれるのを待ってしまう

一番ありがちなのがこういったパターン。

「どうしよう、困った」と一方的に伝えた時に、相手が「手伝いますよ」といってくれるのを待ってしまうというものです。

これのまずさは2つあって、ひとつは貸し借り、仕事を依頼する/されるの関係が不明瞭になってしまうこと。 なんとなく、「あれは自分が頼んだんじゃなくて相手が自ら手をあげて手伝ってくれたんだ」「こちらは仕事をしたいといってきたから与えてやっているだ」というような心理に陥ります。

もう一つは、ここから、なにか問題が起こったときに「自分から手伝ってくれるといったのに、結局たいしたこと出来ないじゃないか」「せっかく仕事をあてがってやったのになんなんだ」 などといって自分の困難の責任を人に押し付けるという最悪の状況になることです。

これをしてしまうと相手からは「せっかく困っているから助けてあげたのになんだその言い草は」となり、二人の関係は崩れていってしまうことになります。

本来仕事は「お願いする」ものであり、お金を渡せばなんとかなるものではありません。 お金は労働や成果に対して支払うものであって、それをお願いする行為をおろそかにするとボロボロと取りこぼしがでます。

特に、個人でやっているような仕事の場合は、自分のそういった言動が直接の仕事の入りに直結するので気をつけないと行けません。

「頼まれる」をきっちりしていくこと。

同じように、頼まれる側としてもこれをキチンとしていかないといけません。

仕事の内容や条件が曖昧のまま受けてしまうこと

仲間内のような関係や、初期の仕事でありがちなのがこのパターン。

「仲間内の貸し借りの関係だから」「実績ない中でもらっているものだから」といって 業務範囲が曖昧なままうけてしまうと、あとあとになって業務量が増えて他の仕事を圧迫したり、 得意ではないことをやらされて失敗=>信頼を失うということがおきてしまいます。

個人事業主としてやるなら、自分の中での最低賃金を。

僕の中では、最近は「その仕事をするための労働」時間ベースで3,000円をきらないようには気をつけています。

3,000円ももらうなんて、とおっしゃられる(最初のころは思う)かもしれませんが、もろもろの営業活動や事務処理、保険や税金の支払い、先々への投資、あるいはどうしても100%にはならない稼働率(いいとこ80%)などを考えると、最低このくらいはもらわないとハッキリいって立ち行かないことがわかりました。

なので、個人事業主を始められる方がいれば、最低このくらいは考えておいたほうがよいです。

この賃金ベースで計算して、絶対にこの範囲で収まると思えるのであればナァナァで受けても大きな問題にはならないです。 ただ、不明瞭な場合には、キッチリこのラインを守るように仕事を受けるようにしたほうがよいです。 わからない場合は、お断りしましょう。それで苦い顔をするような相手は、どのみちあなたのこれからのパートナーにはなりえないので。

逆説的ですが、こういう頼む頼まれるの関係をキッチリしていけば、お金にこまることはそうそうありません。卵が先か鶏が先かという話にはなってしまいますが、心にとめおいてもらえるといいのかなと思いました。

学部の(遠い)後輩が南相馬に飛び込んで来た話

僕のいた学部

僕のいた学部は立命館大学政策科学部というところです。

何をしているかわからない、という意見も多くいただく学部なのですが 基本的には「問題解決型の人間を育てつつ、社会政策の提言や実行を行っていく学問」だと理解してもらうのがわかりやすいと思います。

いわゆる総合政策系の、人材育成と研究活動が相互に絡みあうような学問体系となっています。

3.11の災害。俺達こそが主役となって活動しているはずだったのではないか

さらに学部のことをいうと、政策科学部は阪神大震災の前後で急速に広がってきたNPOなどの非政府型の組織活動の研究にも重きをおいていました。

そんなところに3.11もあり、NPOの活動もさかんになってきた。慶応の総合政策出身者、東大生・・・立命館大学があった、でも文学部カァ。。。

政策科学部の名前を見つけられないことに、なんとなく物悲しさをもっていたのは事実でした。

紛いなりにも僕らにはこの学問を学んできたプライドがあったし、なんか悔しいなぁと感じていました。

大学の9学年下の後輩が飛び込んできた

8月も後半にさしかかった時に、こんなメッセージが飛んできた。

現地の方と交流する機会を設けて頂くお話ですが、 9/1-7までの期間に一度だけ、アサインして頂くことって可能でしょうか⁇ かなり急なお願いになってしまうのですけど…

少し前にとある企画でご一緒した、大学1回生の女の子だった。 僕の遠い後輩にあたる。(僕が12期生だったはずなので、21期生かな)

普通に考えたら急すぎるお願い、というかこの子僕とあったの3時間くらいやねんけどとか思いつつ、内心僕は喜んでいたりもしました。

なんというか、自分の直感とかそういうのでポーンと飛び込んでしまうようなそういう学生が、 政策科学部にいた事に僕は喜びを禁じ得なかった。

昔の僕らがそうであったように、青臭さがあったとしても、問題に向き合い考えようとする姿勢のある人がいたことが、とても嬉しかった。

4日間ではあったが、僕の知っている限りの人脈を駆使していろんな人に合わせ、なるべくいろんな話をしてもらえるように考えた。それが成功だったかは、これからわかることなんだと思う。

昨日ようやく南相馬を送り返して、ほっと一息つけたのでなんとなく自分の思いを発散してみた。

彼女にはこれからどんどん出張って活躍してもらえればと思います。

仕事をやめてから約半年で考えたこと

結局何したのか

  • 2月 色んな所に顔出し。面白いことがあったら飛び乗ってみた。手続き等グダる。
  • 3月 面白そうだから南相馬でやってみようと決意。その後約1ヶ月先方音沙汰がなく手持ち無沙汰になって焦る
  • 4月 しょうがないのでコンティンジェンシープランを考えだす。先方に決断要求を改めてする。
  • 5月 ちょこちょこ動き始める。自分の+南相馬サイドでも仕事もいくつかもらう。自分が提案した案件が始めて通る
  • 6月 ↑の案件をこなしながら始めての請求書
  • 7月 埒もあかないし貯金もあんまり無いのではよお金の出し方決めろと言わんばかりに南相馬に突撃 ←今ココ

なぜそうしたのか

割と聞かれるのが「丹後にいくのではなく南相馬でやることにしたのか」という質問。

僕が退職するタイミングでは京都の京丹後からもちょっと仕事をしないかみたいな提案をもらっていて、実際に行きましたが環境的にも食事も文化もあるよい地域だったので、ハッキリいって非常に魅力的だなぁと感じていました。

退職時のエントリーには「美味しいご飯を食べながらアソビの活動をして、余裕があればプログラミングをして過ごす、規則正しくねる。 という生活スタイルをとってみようと思っています。」とある通り、僕にとって「美味しいご飯を食べる」は割と重要なファクターにも関わらず、一方で現状の南相馬では満たすことがなかなか難しい(主に放射能的な要因で)状況なのですが、なぜあえてそこに飛び込んだのかという話で。

A.面白いことをやることと、環境の選択の「チャンスの多さ」を天秤にかけた。

ハッキリいって背水の陣もいいところな環境なので、逆に先進的な取り組みを出来る可能性があること、「復興」や「国難」、「社会市民として総力を上げて解決すべき問題」という文脈がある中で、各分野のトップランナーが集まってくる可能性があることが福島の面白さだと思っています。

そういう意味では、今だから出来る事、今を逃せば出来ないかもしれないことであって、ここに自分が飛び込む意義を見出したわけです。美味しいご飯を食べられる環境はたぶんいつでも手に入るけど、エキサイティングな仕事をするチャンスはなかなか手に入らない。

だから優先すべきはこっちだろうと思い、いまの決断に至ったわけです。

コンビニ飯で食いつなぐことも多い現状、ちょびっとだけ後悔することもあるけどNe。

全体を通して思ったこと

やっぱりなんというか上手くいかない不安が勝りました。というか今も勝っています。

それでもなんとかやりくりしつつ上手く行ける形を模索している感じです。

不安ではありますが、状況を楽しめている部分もあるので前職で仕事を続けているよりかはエキサイティングでいいかもとは思い始めています。

が、やっぱり夜中一人で寂しい時は後悔しそうになったりやめたくなることもあります。

全部が新しい。人も仕事も場所も。

とにかく全部が新しくなりました。

これまでに仕事をしたことのない人達と、これまでやったことのない仕事を、これまでにやったことのない場所でやるのは大きなストレスである一方で毎日が創意工夫にあふれて楽しいなと感じることが多いです。

決められることが多い。

仲間も、仕事も、仕事の仕方も全部自分で決められます。決めないといけないということでもありますが、その煩わしさの分だけ楽しいこともあります。

社会のレールの外側で生きる恐怖というか、不安というか。

非サラリーマンであること

毎月決まってお賃金がもらえるわけではありません。

明確な契約が存在しない場合もままあります。

1か月後には決まるだろうと思っていたことが3ヶ月4ヶ月ずるずると決まらないことがあります。

自分が話していた相手が実は決裁権限がなくて後々ひっくり返されることがあります。

あるいは一緒に仕事をしていた人の能力が足りずにプロジェクト事態が頓挫することもあります。

保険や税金を自分で処理しないといけないことは意外と煩雑な作業であることに気付かされます。

経理も同じです。

収入が入らないタイミングに預金額だけが目減りしていくことには恐怖を覚えました。

非労働集約型の業務が多くなったこと

前項と繋がりますが、前職でも労働集約型ではない、レバレッジポイントがあったとはいえ、失敗してもゼロになることはありません。

でも例えば提案型の仕事をすると決まらないと収入はゼロです。だからといって4つも5つも案件を持って、稼働率をあげられるような仕事でもありません。

プログラミングみたいにレバレッジポイントがありつつもある程度労働集約的な性質のある仕事=やっていれば大抵いつかは完成して収入になる が如何に精神と収入の安定につながることなのか気付かされます。

これから

結局なんだかんだで決まった働き口が見つかっていないという有り様なのですが、まぁなんとか上手くやっていきたいなと思う所存です。

こんな性格なので、ネガティブになるシーンも結構ありますが基本的にはのらりくらりとなんとか生きていこうと思っています。引き続き応援頂ければ嬉しいです。

南相馬に引っ越しました。

こんばんは。私です。

福島県南相馬市に引っ越しました。

といってもまだ仮住まいなのですが・・・

これから本格的に進めていこうと思います。

今後共よろしくお願いいたします。